次に、天皇についてです。
山本七平氏は、「昭和天皇の研究」において、
天皇とマッカーサーの単独会見について、藤田侍従長の回想から引用して、天皇はマッカーサーに次のように伝えたとしています。
「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は私の任命するところだから、私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい。」
今上天皇の家庭教師であったヴァイニング夫人の記述も引用し、
「元帥 戦争責任をお取りになるか。
天皇 その質問に答える前に、私のほうから話をしたい。
元帥 どうぞお話しなさい。
天皇 あなたが私をどのようにしようともかまわない。私はそれを受け入れる。私を絞首刑にしてかまわない。(原文では、“You may hang me”と記載されているという。)」
反面教師としてのウィルヘルム二世と天皇を比べていくと、さまざまな点で、その行き方が全く逆で、敗戦のときウィルヘルム二世は、すべてを投げ出すようにして退位し、オランダに亡命したことと、その意志が全くなく、逆に、自らマッカーサーのもとへ出頭した天皇とでは「責任の取り方」が全く違ったといえます。
「戦争責任者を連合国に引き渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引き受けて退位でもして…」であります。
「守成の勇気」は「創業の勇気」と同じではなく、マッカーサーの所に行き、”You may hang
me”と言える種類の勇気であろうと山本氏は指摘しています。
天皇は、明治憲法とそれに基づく慣例によって、すべてが整然と運営される方向へと目指された。その方向に行こうというのがおそらく天皇の自己規定であるわけです。
「憲政の王道を歩む守成の明君」ではあっても、「覇王的な乱世の独裁君主」ではありません。
山本氏は、津田左右吉博士の「歴史的事件」と「歴史的事実」の使い分けを引用して、
「記紀において、何らかの思想を表現せられているところに説話の意味があるのであり、この思想が実に歴史的事実なのであり、昔の人がこういう思想を持っておったということ、その思想が一つの事実である。
記紀の記述であれ、聖書の記述であれ、いわば『神代』においては『歴史的事件』の記述の断片はあるにしろ、そのゆえにすべてを『歴史的事件』の記述というわけにはいかない」
津田博士の関心は、圧倒的に中国の影響を受け、その思想を導入しつつ国家を形成しながら、なぜ「万世一系という思想」(歴史的事件ではない)が形成されたのかでありました。
天皇はまず「アラヒト」であり、「アラヒトガミ」と記されていても、上代の日本人の普通の神の観念とは違う存在であると指摘しています。
「天皇は『アキツカミ』であらせられます。その『アキツカミ』としてのお働きは、国家を統治あらせられる点にあるのであります。天皇はやはり神をお祀りになるのであります。
天皇ご自身が神をお祀りになるのでありまして、その点では神に対する人の位置にあらせられるのであります。」
津田博士の結論をひとことで言えば「アラヒトガミ」とは「アラヒト象徴」だということです。天皇は人間である、と同時に象徴であるというのが、津田博士の一貫した考え方です。
津田博士は天皇を象徴と規定した最初の人であり、中国の皇帝は決して、「アラヒト象徴」ではなく、天命により地の民を支配する支配者なのです。
「天皇は国民統合の象徴」であるだけでなく、「民族の継続性の象徴」であるということになります。
「『勝ちたい』という野心、いわば『占領政策を成功させ、あわよくば大統領に』といった野心は、『捨て身』にはかなわない」
天皇とマッカーサーは会談を重ねていくうちに両国の関係は微妙に変わっていきます。第三回の会談で天皇はご巡幸についてのマッカーサーの意見を求めます。マッカーサーはこれに賛成し、次のように言いました。
「『…米国も英国も、陛下が民衆の中に入られるのを歓迎いたしております。司令部にかんするかぎり、陛下は何事をもなしうる自由を持っておられるのであります。何事であれ、私にご用命願います。』…この最後の、誇り高きマッカーサーが言ったという言葉
“Please Command Me”が、まことに印象的に響くではないか」
天皇は、国民統合の「象徴」であるだけでなく、民族の継続性の「象徴」であるということは、あくまでも「アラヒト象徴」であるとしています。
つまり、天皇は「人」であり、神を祀る立場であって、神として祀られる立場ではなかったということです。
「アキツカミ」とは、国民を統治(統合)する働き(機能)をさすものであり、「機関説」であると理解できます。
「万世一系」という思想は、「歴史的事件」ではなく、上代の人びとが、この思想(神話)
を持っていたということが、「歴史的事実」なのであって、これが、民族の継続性の象徴であると理解できます。
天皇がマッカーサーとの会見において、最初の天皇の言葉である“You may hang me”からマッカーサーの“Please command me”にいたる経緯は、天皇の「捨て身」の勇気に対して、
野心家であるマッカーサーでさえ、敬意を表明せずにはいられなかったわけです。
「捨て身」の勇気とは、「創業の勇気」ではなく、「守成の勇気」であって、「憲政の王道を歩む守成の明君」ではあっても、「覇王的な乱世の独裁君主」ではなかったわけです。
山本氏は、空気の研究において
「二・二六事件を起こした将校たちにとって、天皇とは偶像的『現人神』ともいうべき存在であった。従ってこの偶像天皇が自分の意志をもっていると知ったとき、彼らは、仏像が立ちあがって口を利いたかの如くに驚いたわけであった。これでは、自分たちの帰依に基づく『現人神・天皇制』ではなくなって、天皇という、自分の意志をもつ一個の人間の政治的統治になってしまうからである。それは一人間の意志による普通の統治であって、現人神天皇制ではなくなる。では以上のような、『天皇制』とは何か短く定義すれば、『偶像的対象への臨在感的把握に基づく感情移入によって生ずる空気的支配体制』となろう。天皇制とは空気の支配なのである」
二・二六事件の将校たちが、偶像的「現人神」を絶対化したことは、逆に言えば、自分たちの都合の良いような「機関」に対して感情移入して「シンボル化」していたわけで、そのシンボル化した偶像による「空気」に自分たちも支配されていることに気付かなかったわけです。
偶像のシンボル化による「空気」の支配は“integrity”とは相反するものです。
「アラヒト象徴」としての天皇は、絶対的な神と国民の仲介者であったわけで、それにより、国民を統合していると考えられます。
その前提としては、“integrity”がなくてはなりません。
「空気」からの脱却は、「水を差す自由」としての勇気が必要となります。
東洋思想の「知・仁・勇」が西洋思想の「知・情・意」に相当するという指摘はたいへんな示唆を含んでいると思います。
古事記の最初に出てくる「造化三神」のアメノミナカヌシ(天御中主神、天の中心に座す主神)、タカノムスビ(高御産巣日神、主神との仲介者)、カムムスビ(神産巣日神、地上に息づく神)、これらはキリスト教の三位一体である「父なる神」、「御子イエス」、「精霊」にそれぞれ対応すると考えられます。
山本氏が指摘している鈴木正三の考え方の、
「宇宙の基本は一仏
一神教ではないが一仏教。 一仏論はキリスト教を連想させる
一仏には徳目が三つ
キリスト教の三位一体=「一つの本質」「三つのペルソナ」と相似
一つが月、一つか仏性仏心、一つが医(いやし)
仏の機能が三つの面に出ている」
この「一仏論」も、キリスト教と対応します。
推古天皇の時代に聖徳太子が制定した十七条憲法(一条、「和をもって貴しとなす」)は、
日本書記では、二条の「三宝」が「仏、法、僧」になっていますが、徳川幕府時代に偽書と認定された「先代旧事本記」においては、「三法」であり、「儒、仏、神」となっています。
十七条のうち、二条だけ、異なります。
小室氏は、徳川幕府は、儒教的易姓革命を肯定し、天皇の権力を最低まで押し下げたと指摘し、山本氏も「禁中並びに公家御法度」を例として、幕府が天皇を管理下に置いたことを指摘しています。
十七条憲法の制定にあたっては、神道系の物部氏が仏教系の蘇我氏に抗争で敗れました。
歴史上、聖徳太子は仏教を広めた功労者とされていますが、なぜか聖徳太子の一族は、仏教派の蘇我氏に滅ぼされます。
聖徳太子は、神仏儒の三宗習合を唱えたことを考え合わせると、十七条憲法の二条は、「先代旧事本記」における「三法」の「儒、仏、神」が正しいのではと考えられます。
山本氏は、天皇の「大政翼賛会はまるで幕府のようだ」との言葉を引用し、その中で天皇は議会、幕府との関係を物部氏と蘇我氏の対立になぞらえています。
古事記における、「造化三神」と鈴木正三の「一仏論」がキリスト教の三位一体と同じであると仮定すれば、日本書記においては、蘇我氏が二条を改竄し、徳川幕府が天皇の地位を押し下げたことも納得がゆきます。
つまり、「造化三神」と「一仏論」は、唯一絶対の神を想起し、当時の権力者にとっては、その権威を危うくする“integrity”となってしまうと考えられるわけです。
「アラヒト象徴」としての天皇は、唯一絶対の神と日本人の仲介者であったと考えるべきと思います。
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