次に、日本における政治についてです。
山本七平氏は、日本人とは何かと言ったら、幕府制を創造した民族であり、政治制度から見れば天皇制国家ではなく幕府制国家であるとしています。
朝幕併存という独特の制度を作ったのが幕府であり、この幕府という制度が勝手に法律をつくって勝手に施行したという体制であるとしています。
能力主義 統治能力のある者が政権をとるのは当然とし、
「式目は日本独特の固有法である 明治憲法は継受法
起請文の中で天皇は無視 形式的にも天皇に公布してもらったのではない
武家が勝手に作って勝手に公布し日本国中の神々をあげて起請し、立法の責任は全員 議決した以上は一同の責任 一同の憲法 連帯責任
律令は天皇の家法 式目が全日本人の法律 法律が二つ」
式目は憲法上の典拠がなく、宗教的要素が一切ありません。
完全な世俗法であり、世俗の事しか規定していません。
他人の悪口を禁ずる、今で言う名誉棄損にあたり、悪ささえしなければ諸宗平和共存していればよろしいとしています。
「自分たちの土地所有は法によって保証されていない不安があった
名義的所有権者に武士たちは名義料を支払うと同時に貴族のための護衛兵を差し出した 『随従せる』=『侍う』(さぶらう)」
サムライとは開拓農民であり、元来農民であったとしています。
頼朝の幕府は、武士のもつ土地の所有権を保証し、土地争いを裁く裁判所でした。
無力化した天皇の政府は幕府に一定の権限を委譲するという形で幕府を合法化したのです。
天皇の政府と武士の政府の共存=朝幕併存という奇妙な二重構造政権だったわけです。
天皇はヴァチカンに閉じ込められた法皇のようになってしまいました。
小室直樹氏は、
「経世済民 政治における最高道徳とは、畢竟、『国民の経済生活を保障することである』
『経済』とは『経世済民』の略である。世を経め、民を済うこと。有効な政策によって政治を行い民の生活を保障する。換言すれば、儒教的考え方においては、いわゆる『政治』といわゆる『経済』とは、ほとんど同義語であった」
ソ連は経済政策に失敗して滅亡しました。その結果イデオロギーとしてのマルクシズムも消滅してしまったわけで、まことに下部構造は上部構造を規定したわけです。
資本主義国においても、社会主義国においても、経済悪ければすべて悪し。
田中角栄の政治哲学は、「デモクラシーは数、数はカネ」であると伝えられますが、より本質的には、「民主主義の眼目は、率直で力を込めた討論である」としています。
官僚の最大の動機はなにか。「プロモーション(昇進)である…」(マックス・ウェーバー)。
そして次に大切なものは何かといえば、部下と権限です。「一所懸命」という言葉があります。平安末期に武士が発生したときに生まれた言葉です。「一所」というのは自分の領地という意味で、これに命を懸けるのが「一所懸命」。つまり、武士の動機は領地を増やすことであったわけです。
戦国時代の末期になると動機も複雑になりますが、初期の武士は自分の一所、領地を増やすために命懸けで働いたのでした。
山本氏は、日本の基本的な構造として、何らかの利害が一致すれば血縁に無関係の規約集団 一揆を作るとしています。
何か一つの事業をやるときは集団規約を作って運営することを「一揆契約」といいます。
日本では一番基本的な基礎になっている家族集団(核家族)というものに変化はありません。その上の組織はその時代の合理性に合わせてどう変えてもいいことになります。
血縁集団がないことが日本の近代化に非常に有利な社会的状況であったと指摘しています。
核家族の上がすぐ組織ですからその組織へきて訓練すればすぐに合理的に機能しうる組織を作ることができるわけです。
日本の会社は外観は欧米的ですが、内実は一揆的となります。
近衛文麿が大政翼賛会をつくり、「無政党時代」に進もうとしたとき、天皇は「このような組織をつくってうまくいくのかね。これは、まるで、むかしの幕府が出来るようなものではないか」と言われました。
天皇には「五箇条の御誓文と憲法あっての天皇」という意識がきわめて強く、これが自己規定の基本であったように思われると山本氏は指摘しています。
「我国の歴史を見るに、蘇我、物部の対立や源平その他常に二つの勢力が対立している。我国では中々一つに統一ということは困難に思わる」いわば対立があるのを当然として、それを憲法というルールのもとで、議会内で行うがよい、大政翼賛会のような組織はよろしくないということが天皇の発言です。
尾崎行雄は、不敬罪(三代目論)に対する反論として、
「天皇は三代目だが、憲法があるから、いわゆる“三代目”にはならない。問題は独伊にかぶれて翼賛会などというものをつくり、政府がそれに選挙資金を出し、官選に等しいようにすることは、憲法を否定するに等しい。お前たち昭和人も三代目、その三代目がそんな動きに流されて憲法を否定するような投票を行えば、天皇以下全員が本当に“三打目”になってしまうぞ」ということでした。
「憲法に描かれている社会システムとしての日本の青写真と、歴史的実体としての日本の現実との乖離」という指摘において、
天皇の選択はあくまで頑固に「憲政どおり」で、どのような犠牲を払っても歴史的実体としての日本を憲法へ引き寄せることであって、憲法を無視して「憲法停止・御親政」ではないと山本氏は指摘しています。
「機関説」とは「内閣の閣議決定に対して天皇は拒否権を持たない。天皇は閣議に出席して意見を述べることはもとより、閣議に出席することもできない」ということであります。
「軍の独走というが、軍と内閣が『野合』しても『帝国議会』の承認がなければ、軍はうごかせない。問題はその自覚が強烈だったのが軍であり、その自覚がなかったのが政治家で、その典型が『不拡大方針』を声明しながら『拡大予算』を組んでいた近衛である」
とし、「憲政どおり」であった天皇に対して、議会が軍に対する予算を意に反して拡大したことを批判しています。
小室氏は、
「日本人は、誰も彼も、アメリカとは、ルーズベルトを中心とするアメリカ政府であると思い込んでいた。そして、この思い込みに従って行動した。
そのルーズベルトの尻尾が、選挙の際の不戦公約によって、固く米国民の反戦願望に結び付けられている。ルーズベルトは、ほとんど絶対に戦争をすることができない。このことに気付いた者は、当時の日本には、絶えていなかった。いわんや、アメリカにおける選挙公約の意味など。『選挙公約は守らなければならない』という政治の初歩を、理解し得る者がいなかったのである。
日本人とくに政府と役人のアメリカ観、アメリカとは即アメリカ政府なりとするアメリカ観は、いまだ改まってはいない」
近衛内閣が「不拡大方針」を声明しながら「拡大予算」を組んでいたことに対して、アメリカにおける「選挙公約は守らなければならない」という政治の初歩を理解できていなかったことを指摘しています。
現在の世襲議員にも当てはまることでしょう。
日本人にとっての“integrity”とは何かを追求しなくてはなりません。
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