次に、日本におけるキリスト教についてです。
小室氏は、
「日本の神勅は予定説
仏教の戒律全廃を通じて、法もまた全廃された
天皇 神の直系であるということ 正統性の根拠 仏教的正統生も加わってくる
天皇の命令には臣下は絶対に抗することができない 是非善悪を問わない
天皇が正しい命令を下すのではない、天皇の命令だから正しい
いかなる命令であっても、天皇は『正しさ』を創造する、正統性を創造する
これまさにキリスト教的神
予定説から因果律へ
『天皇は無条件に正しい』という予定説がくつがえって
『良い政治をするものが正しい』という因果律が支配
天皇絶対の予定説は善政主義の因果律にとって代わった
泰時 承久の乱 それまでの伝統にしたがえば、いかなる場合でも無条件で皇室は、政治的責任を免除されることになっていた。
『天皇は何をしても正しい』のではない 天皇といえども自分の行為が原因となって生じた結果には責任があるとなり、武士の世は完成された」
日本の神勅は、キリスト教と同じ予定説であったと指摘しています。
つまり、天皇は無条件に正しく、是非善悪を問わず、天皇の命令には臣下は絶対に抗することができないということです。
これが、北条泰時の承久の乱によって、天皇絶対の予定説から善政主義の因果律に変わったとしています。
そして、貴族の時代から武士の時代に移行したとしています。
「神皇正統記」の天皇は無条件に善政を施しても施さなくても、徳があろうがなかろうが、天皇は「天壌無窮」(あめつちとともにきわまりない)の時代から
源頼朝が戦乱を治めて天皇はどうにもならなくなり、儒教的な善政主義(因果律)となったということです。
「天皇の復活
承久の乱 『ポツダム宣言』受諾 『天皇人間宣言』神勅の正統性に致命的打撃
イエスキリストの復活そのもの
復活することによってイエスキリストであることを証明
死と復活によってはじめて神であることを証明
人はイエスを信ずるようになった
天皇は神である キリスト教的神である
キリスト教において神は死んで復活する
天皇の死=承久の乱」
天皇が承久の乱で死んだという意味は、神勅の正統性に致命的打撃を受けたということで、「ポツダム宣言」を受諾し、「天皇人間宣言」をした時と同じであると述べています。
「承久の乱は昭和20年の敗戦同様 日本史に一新時代を画した事件
天下の空気は一変 思潮は一変
天皇イデオロギーは死んで善政主義が支配的となった
天皇のキリスト教的神性は失われた
天皇イデオロギーはひとたび死んだ 十字架上のイエスキリストのごとく
承久の乱後、天皇イデオロギーが死んで、武士の世は完成をみた」
ということです。
「建武の中興 南北朝のいずれが正統であるか
この大論争の過程を通じて承久の乱で死んだ天皇イデオロギーが復活してゆく
天皇は神である 天皇が正しいことをするのではなく天皇がすることだから正しい
天皇イデオロギーのドグマ(教義)
天皇イデオロギーの教義が復活することによって天皇は『真の神』となった
カルケドン信条の『真の神』のごとき神 キリスト教的神
イエスキリストは『真の人』であり『真の神』である
ローマカトリック、プロテスタント諸派、ギリシャ正教、ロシア正教みな現人神派」
建武の中興での南北朝のいずれが正統であるかの議論の過程によって、天皇の教義である予定説の天皇イデオロギーが復活し、これは「アラヒトガミ」であるキリストと同じであるとしています。
「イスラム教の論理では現人神は出てこない
『人にして神』とはユダヤ教において有り得ぬ概念
啓典宗教のなかで現人神があり得るのはキリスト教のみ
ユダヤ教、イスラム教においては絶対にありえない
イエスキリストの神格は復活により確立された
イエスは復活によって真の人、真の神になった 死んでまた復活
神としての天皇の死と復活の過程も同型
『天皇は神である』とする古代以来の天皇イデオロギーは承久の乱で死んだ
崎門の学を中心とする論争過程を通じて幕末に復活する
この死と復活の過程を通じて天皇の神格は確立された
真の人、真の神として 現人神として キリスト教的神として
天皇イデオロギーが死んで復活するという過程を経ることによって
天皇の予定説的、絶対的神としての神格は確立された」
キリストと同じで、死んで復活するという過程を経ることによって、「現人神」が確立されたとしています。
「家康は明らかに湯武放伐論(易姓革命、善政主義)絶対肯定の立場
天皇権力は徳川幕府によって最低にまで押し下げられた
天皇の行動ルールは幕府が作る 『禁中並公家諸法度』
幕府儒教の中心をなすのが孟子イデオロギー湯武放伐論、易姓革命論
幕府の打倒、天皇イデオロギーの復活は湯武放伐論の否定から
ここに崎門学(山崎闇斎学派)の決定的意味
浅見けいさい門下では湯武放伐論を是とするものは討ち果たしてよい
崎門の学の展開過程は、天皇(上皇)の非倫理性を徹底的に追及することよってであった
『反対方向性の共存を内包したバランスは毛筋ほどの差で崩れる』丸山真男
天皇の非倫理性が徹底していればいるほど、それと共存する反対方向性によって
天皇は絶対の高みへのぼってゆく 予定説の論理によって
王のなすことはすべて正しい 究極の君臣関係
崎門の学の展開過程を通じて、承久の乱で死んだ天皇は現人神として復活した
予定説の論理が作動を開始し、明治維新へ一直線」
徳川幕府は、儒教的易姓革命を肯定し、天皇の権力を最低まで押し下げたとしています。
幕府を打倒するためには、儒教的易姓革命の否定が必要となりました。
天皇イデオロギーの復活には、天皇の非倫理性を徹底的に追及することによって、絶対的神としての予定説、つまり、「天皇のなすことはすべて正しい」という究極の君臣関係の構築により、明治維新へと突き進んでいきます。
小室氏は、承久の乱以前の天皇イデオロギーは、キリスト教の予定説とおなじであり、承久の乱以降、儒教的因果律に変わったことが、天皇の死であり、キリストと同じように復活によって、明治維新に進んでいくと指摘しています。
つまり、キリストと同じ「現人神」としての天皇が復活し、「大日本帝国憲法」の制定へと向かうとしているわけです。
しかし、「大日本帝国憲法」下においても、天皇は憲法に制約された存在でした。
「現人神」という思想は、制度化されたものではなかったのにもかかわらず、当時の人びとにどのようにとらえられていたのかを、よく考えてみる必要があります。
つまり、「現人神」という思想が、日本人にとっての“integrity”でありえたのかどうかということです。
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