2014年10月26日日曜日

2ねんぶりに、このブログを再開するにあたり


ほぼ2年ぶりにこのブログを書きます。
書こうと思い立った動機は二つあります。
一つはこの2年間というものコギングレス発電機の開発にてこずっていたのですが、何とか次のステージへ進める状況になってきて、精神的に余裕ができたことです。

もう一つの動機は、一昨年このブログの最期に次のように書きました。

「今、日本は過渡期という病気を発症している時期だと思います。
これは国民が現政権に対して、本当に自分たちを守ってくれるつもりがあるのかどうか不信感をつのらせている症状です。

過渡期を脱するためには、それなりの変革が必要です。
この変革のためには、それ相応の犠牲を出さねばならないのかもしれません。
明治維新、先の大戦を経ての変革いずれにしても多大なる犠牲のもとに変革はとげられました。

平和ボケしている今日どのような犠牲を出せば変革はできるのでしょうか。
犠牲はもうすでに出ているではないですか。
東北大震災による原発事故は単なる想定外の天災によるものではなく、人災によるものです。
放射線による内部被爆は想定外などと言っていられる状況ではなくなっているはずです。

この教訓を糧にせずして変革できないようでは、この国は本当に核武装し警察国家から軍事国家への道をまっしぐらとなってしまいます。
自由などという言葉は本当に無意味になってしまいます。」

2年前、以上のように危惧していたのですが、現在現実のものとなりつつあり、傍観していられなくなったからです。

私は「ものづくりや」ではあっても「ものかきや」ではないので、勝手気ままに書こうと思いますが、私自身のアイデンティティーにもかかわることも書こうと思いますので、変節のそしりを受けないように、備忘録として書き残したいと思っています。

私は憲法の前文にある「主権在民」、「恒久平和の祈願」、「政治道徳の法則」を信奉する国民の一人です。

今年71日の集団的自衛権の閣議決定に遡る、特定秘密保護法や武器輸出解禁、原発維持、輸出と再稼働準備、秘密裡のTPP交渉等どれ一つとっても民意に逆行しています。

私は自分の父、女房の母が広島原爆の被爆者であり、私も妻も被爆2世、私の息子は被爆3世であることもあり、核廃絶へ幾ばかりかでも貢献したいというのが私の仕事だと自負し、自然エネルギー(太陽光、地熱、風力、水力、潮力、波力等をいいます。)普及のためモーター、発電機の開発に携わっています。

被爆の影響が、遺伝子学的に子子孫孫には、薄まっていくのかも知れませんが、語り継がれるべき、原爆の悲劇の記憶が薄まっていくようなことがあってはなりません。
これは、福島の原発事故もしかりです。

福島の地域再生復興事業協同組合と提携しているのもこの考え方からです。
開発のための補助金を政府から出してもらおうと地元の人たちも大分骨を折ってもらったのですが、復興予算は政官と癒着した土建屋さんたちにおりるばかりで、我々製造業の中小企業には1円もおりていません。

それどころか被災地の復興そっちのけで、原発が再稼働されようとしています。
原発ムラの予算のいくらかでも自然エネルギーに振り分けてくれれば、日本の生産性は飛躍的に上がり、経済再生の特効薬になると思います。

欧米ではすでに原発から自然エネルギーにシフトし、新たな雇用を生んでいます。
アベノミクスはただ株価をつり上げるだけのまやかしであることが露呈してきました。
庶民の暮らしは悪くなるばかりです。

経済を立て直すには、ひとえに実態経済としての生産性を向上させることに尽きます。
自然エネルギーへの転換は日本経済再生の切り札になるはずですが、現政権は完全に逆行しています。

憲法については、私は改正すべき点は、改正すべきだとは思っています。
しかし、集団的自衛権の行使には反対です。
現行の平和主義の精神を受け継ぎ、専守防衛に徹するべきだと思っています。
攻撃されてもいないのに紛争に巻き込まれ、大義もなく、戦争に加わるべきではないと思います。


このままだと、アメリカの言いなりになり、中東、ウクライナの戦闘地域に自衛隊は派遣され、多くの死者が出るであろうことは明らかです。

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