2014年10月29日水曜日

岩上氏による板垣先生のインタビューから⑦日本の知識人3

次に、出口王仁三郎についてです。
結論から言ってしますと、出口も「日ユ同祖論」者だったのです。
出口王仁三郎は「大本教」二大教祖の一人です。もう一人の教祖は出口なおです。

板垣先生もヒントのように指摘していましたが、エスペラントが「大本教」で大きな意味合いを持ちます。

エスペラントの創始者は、1887年、帝政ロシア支配下ポーランドのユダヤ人、ザメンホフが発表した国際語です。
エスペラントはイスラム教のシーア派系「バハイ教」の関係で「大本教」に持ち込まれました。

「バハイ教」はイスラム教の宗派とは言うものの、全ての宗教が一つという宗教です。
世界の主要な宗教の教祖、つまり、クリシュナ、仏陀、ゾロアスター、アブラハム、モーゼ、キリスト、そしてモハメットは、それぞれの時代の人類の発達の段階に適した教えと法により、同じ一つの神から人類を教育せんがために遣わされた聖なる教育者であると、教えているのだそうです。

「大本教」の教えも、「一神即多神即汎神」で、「万教同根」として、右も左も抱える化け物となって、後に弾圧されます。

日本エスペラント教会は、酒井勝軍(日本ピラミッド論の開祖、機関誌「神秘の日本」などを発行)など「日ユ同祖論」者が多いことで知られています。
設立者の中心人物の黒坂勝美は東京帝国大学名誉教授で、日本古代史の博士です。現在読まれている「日本書記」は黒坂が編集したものです。

新渡戸稲造は国際連盟の事務局次長時代の1921年、プラハのエスペラント世界大会に日本政府代表として参加しています。

板垣先生は、次のように指摘していました。
「国連に頼まれて植民地統治をする、という仕組みが第一次大戦後作られたわけですが、日本はそれをミクロネシアに適用していくわけです。」

この植民地政策の仕組みがミクロネシアで実行されている最中、「大本教」はミクロネシアで布教をしているのです。

アジアにおいては、中国の軍閥や日本の右翼(頭山満、内田良平)と関係を結び、北京に「世界宗教連合会」を設立しています。
特に満州においては、世界紅卍字会と提携して積極的に進出しました。
あたかも、新渡戸たちの、植民地政策とエスペラントの普及を追随するがごとく、布教範囲を広げていったのです。

「大本教」と王仁三郎は民族主義(天皇中心主義、日本至上主義)と世界宗教性の振れ幅が大きく、対応に苦慮した日本政府は警戒を強めていったのです。

「大本教の」右翼の起源の一面としては、アジアでの活動を重視して、玄洋社の頭山満(アジア主義者の巨頭)、児玉誉士夫、笹川良一らと協力関係にあった生長の家(大本教から派生)、安岡正篤の紅卍会、黒竜会の内田良平らの右翼と連携してつくった「昭和神聖会」などです。

戦中の「大本教」に陸軍が多かったのは、「河豚計画」にもあったように、東欧の白人系ユダヤ人を満州に迎え入れ、上海租界地に移住させるにおいて、右翼の頭山満などが関わっていたことによるようです。

「大本教」への弾圧は、治安維持法違反と不敬罪により、幹部・関係者、主だった信徒の逮捕拘束となり、教団の全建物・施設がダイナマイトによって徹底的に破壊されました。

ダイナマイトと言えば、ノーベル賞のアルフレッド・ノーベルが発明したものですが、ノーベルは「死の武器商人」という一面も持ち、ロスチャイルドとの提携関係によって、莫大な資産を築きました。

「大本教」への弾圧後、血盟団事件、515事件をたどり、226事件へと向かいます。
226事件においては、皇道派の影響を受けた青年将校らによって、高橋是清大蔵大臣が暗殺されます。
高橋是清は日露戦争において、ロスチャイルドのジェイコブ・シフから、戦費を調達した当人です。

ナチスによるホロコーストは、東欧の白人系ユダヤ人の満州ユダヤ王国構想につながり、頭山ら右翼のアジア主義の根幹を作っていくわけです。

エスペラントついては、ヒトラーとスターリンにより、彼らがその人道主義性と博愛性に危険を感じ、エスペランティストたちは粛清されました。


ヒトラーは1925年の「我が闘争」のなかで、「ユダヤ人は離散しているので、各地の人々の言語を話しているが、もし各地の人々を隷属させたら、より簡単に彼らを支配するために世界語(たとえばエスペラント)を習わせるだろう」として嫌悪感を表明し、政権をとった後でエスペランティストを迫害しました。


「大本教」の左翼的一面としては、出口なおの「王仁三郎こそ、みろく神」という啓示により、王仁三郎を神格化してしまいます。
みろく神とは、弥勒菩薩のことですが、キリストでもあるとの解釈です。

これは、現人神である明治天皇への不敬罪として、治安維持法適応の根拠とされ、弾圧へと向かいます。

王仁三郎は、その著書「霊界物語」、「神霊界」のなかで、ユダヤ人が日本に渡来してきたと言及している「日ユ同祖論」者で、旧約聖書の中の失われた12支族のうち、一番いいのが日本に来ていると言っています。

フリーメーソンについても、「石屋」として言及しており、「大本教」から派生した「生長の家」はフリーメーソンであった鳩山一郎も支援していたようです。

徳富蘆花、内村鑑三もキリスト教プロテスタントとして、「日ユ同祖論」者とつながっていたわけですが、徳富は「大逆事件」で幸徳秋水の死刑阻止の嘆願に奔走し、内村は「不敬事件」で世間を騒がせたことは、前に述べましたとおり、およそ右翼とは正反対の人たちだったわけです。

新渡戸たちの植民地政策に便乗するかのように、陸軍やアジア主義の巨頭である頭山満らと関係を深めつつ、一方では、ヒトラー、スターリンがその人道主義性と博愛性を危険視したエスペランティストたちと協同歩調をとりながら、「大本教」は、右から左まで飲み込んでしまうような怪人である出口王仁三郎によって、布教範囲を広めていったわけです。


そこには、やはり「日ユ同祖論」が深くかかわっていたのです。

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