2014年10月31日金曜日

日本人とユダヤ人について、昨今の「日本人の起源」の学術的根拠

白人系ユダヤ人たちのことを専門用語ではアシュケナージといいます。
これに対して有色人種系ユダヤ人はスファラディーといいます。

日本人はこのスファラディーの血(朝鮮半島、中国の人たちの血はもちろんのこと)を受け継いでいるようです。

イスラエルという国は先の大戦後アシュケナージが建国しました。
イスラエル建国運動のことをシオニズムといいます。
イスラエルは旧約聖書の時代はシオンの地といいました。
2600年ほど前、ユダヤの民の一部はシオンの地を追われ世界中に離散(ディアスポラ)してしまったわけです。(この直後、軌を一にして天皇家の歴史が始まります。)

シオンの地にはアラブ系のパレスチナ人が多くいたわけですがどんどん減少し、今イスラエル軍が、ガザへの進行を始め、虐殺が行われています。
パレスチナの人たちはたいへん親日で、311の震災後、復興の祈りを捧げ続けてくれています。

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これは、ガザの人々が毎年、東日本大震災の追悼行事をしてくれているものです。

湾岸戦争のとき平和維持活動PKOで派遣された自衛隊は現地でとても歓迎されました。
イラクのフセイン大統領は日本の自衛隊員だけは殺してはいけないと言ったそうです。

イラクのフセインがつけていたマークは菊の御紋とおなじものでした。
イラクという地域はメソポタミア文明の発祥地で、当時のシュメール人の王朝のマークと日本の天皇家のマークは同じ菊の御紋なのです。
イラクの人たちは日本人が同じご先祖様であることを知っていて、日本人は仲間だと思っているのでしょう。

天皇家がユダヤとつながりが深いことは、今ではもう公然の秘密となってきました。
インターネットが普及し、今まで隠蔽されてきた事実が次々と明るみに出てきています。
キリスト教とイスラム教はユダヤ教から派生し、ユダヤ教はシュメール人の文化をもとにしています。

3000年以上前、海のシルクロードを伝って日本に渡来してきた人々が縄文人の祖先であり、2000年前、陸のシルクロードを伝い、中国、朝鮮半島の人々と混血を繰り返しながら渡来してきた弥生人が大和朝廷を作ったことは、言語学的にもDNA鑑定等科学的に証明されはじめ、ネット上のツイッター、フェイスブック等でとりあげられています。

しかし、日本国内における「日ユ同祖論」は、陰謀論が先行していて、どうも一般大衆には受け入れがたい点があることも否めないようです。

ユダヤ人の言語学者で、ヨセフ・アイデルバーグという人が、「大和民族はユダヤ人だった」という一冊を著しています。

彼は1916年にロシアで生まれ、イスラエルに移住。イスラエル建国前は、地下軍事組織「ハガナー」のメンバーであり、建国後はイスラエル国防軍の陸軍少佐を務めました。
戦後は、イスラエルで、歴史、言語、民俗学を研究しました。

日本に関する14年にわたる研究は、日本に長期間滞在しての調査をし、日本人とユダヤ人の共通点を言語学の見地から、日本人の先祖はヘブライ人だと断定しています。
詳細については、
こちらを参照してください。

DNA鑑定による、文献としては、「日本人のDNA系統分析の特徴について」…日本人エフライム説の裏付け 2006 5/1
こちらが、わかりやすいと思いますので、参照してください。

この中で、日本人のミトコンドリアDNAは、聖書による三大祖先、ハム、セム、ヤペテのうちのセム系に相当すると指摘しています。

セム系のミトコンドリアDNAは、東北地方に多く、日本全体でも、かなりの割合(平均16%)で存在していることになります。

セム系は、神武天皇(エフライム)、秦氏(ユダ?)などのユダヤ系ではないかと推定しています。

アフリカを起源として広がった人類は、大きく三つのグループに分かれましたが、日本列島には、その三つのグループのすべてが集まっていて、これは全世界的にみて他に類のない特徴であるという指摘もあります。

また、筑波大学名誉教授で、遺伝子研究の世界的権威の村上和雄氏は、以前より日本人が持つ特有の遺伝子、YAP遺伝子を発見され、その遺伝子の性質についての発言を広く世界に展開されているそうです。

日本人は、モンゴロイド系で、遺伝子は日本固有YAP(-)を持ち、これは中国人、韓国人、フィリピン人にもない遺伝子であり、YAP遺伝子は縄文人固有の遺伝子ではなく、中東から来たといっています。

古代イスラエル人と日本人くらいしかいないともいわれ、Y染色体DNAのD系統を高度で持つことで有名であり、Y染色体DNAのD系統は、日本人とチベット人や中近東の人の他には、世界のどこにもほとんど存在しないそうです。

YAP遺伝子は、「親切遺伝子」とも言われ、日本人特有の親切さや勤勉さなどもこの遺伝子の影響が多大にあると思われます。

村上和雄氏によると、「YAP遺伝子は、自分を捨てて他人に尽くす遺伝子」だと言います。
イスラエルでは、エフライムは代々、真面目で親切で勤勉な種族であるという言伝えがありますが、日本にはその末裔も非常に多く住んでいるようです。


出口王仁三郎が出口なお、により神格化されたことは、前に述べました。
王仁三郎はミロク神であり、弥勒菩薩であり、キリストであると、

弥勒とメシアの共通性というのは、出口なおが最初に言ったわけではなく、これは学術的に研究されています。

筑波大学の元教授で、宮田登氏(元日本民俗学会会長)という方が、弥勒≒マトレーヤ≒メシア
という、指摘をされています。
マトレーヤとは、仏教の弥勒菩薩のことでメシアはキリストのことです。
詳細についてはこちらを
参照してください。

鎌田繁氏(東京大学教授、元東京大学東洋文化研究所副所長)も「マハディーとマトレーヤ(弥勒仏)」イスラームと仏教における救済者、という同様のことを、論文のなかで書いています。
全文はこちらです。
マハディーは、イスラム教における救世主のことです。

仏教史学の権威で、エリザベス・A・ゴードン女史(1851~1925)という人がいました。
彼女は日比谷図書館の「日英文庫」の創設に尽力した人です。

明治から大正にかけての研究のなかで、ゴードン女史は弥勒菩薩の語源を調べた結果、「弥勒の語源であるインドのマトレーヤ、中国ではミレフ、日本ではミロクで、これはへブル語のメシア、ギリシャ語のキリストである」と結論しています。
詳細は
こちらを参照してください。

女史は日本滞在中「仏基一元」の研究をしました。それは仏教もキリスト教も元は一つ、同根であることを実証するためのものでした。

8世紀のころ、唐の長安に建てられた「大秦景教流行の中国碑」の複製を高野山に建てたのも、その研究の一環でした。

女史は、高野山を訪れ、真言密教などでは、その成立に景教(古代東方基督教)が深く関わっていたことをお坊さんから聞いたそうです。

つまり、遣唐使として唐に渡った空海が、聖書を持ち帰ってきたということなのです。


ゴードン女史の研究成果は、当時の新聞、雑誌等に取り上げがれましたので、出口なおと王仁三郎は、これもヒントにしたのではと思われます。

空海は、聖徳太子のブレーンであった秦河勝と深い繋がりがありました。

秦河勝は渡来人なのですが、これらのことは後々触れたいと思います。

歴史的に日本人というものは、中国、朝鮮半島の人たちはもちろんのこと中東のユダヤ、アラブの人たちともルーツを同じくする仲間のようです。

それにもかかわらず、日本はアメリカに従属し、集団的自衛権を行使することは中東、ウクライナの人たちを裏切ることになります。

本来、中東、ウクライナの和平の主導的立場をとれるのは、日本だと思います。
専守防衛という平和憲法の精神を順守し、今までの歴史を鑑みれば、現地の人たちは絶対日本人を敵にしたくはないはずです。

アメリカに従属して、集団的自衛権を行使することは、本来の仲間を敵に回すこととなり、日本列島が、テロの対象となりかねなくなります。

日本列島の沿海に散りばめられた原発は、格好の攻撃対象となることでしょう。




2014年10月30日木曜日

岩上氏による板垣先生のインタビューから⑨日本の知識人5

大川はユダヤ利用論者ではなかったのだろうかという指摘があります。
鮎川義介が「河豚計画」に関わって、ユダヤを利用しようとしたことは、前に述べましたが、大川もその側面を持ち合わせていたのではという指摘です。

大川は上海において、サッスーン財閥と繋がっていたという指摘があります。
サッスーン家とは、もともと18世紀にメソポタミアに台頭したユダヤ人の富豪家族で、トルコ治政下にあって、財務大臣を務めるほどの政商でした。

バグダッド(現在のイラク)で活動していましたが、シルクロードの交易によって富を蓄え、インドへ進出します。
インドのボンベイで、「サッスーン商会」を設立し、「東インド会社」からアヘンの専売権をとって、中国に売り、莫大な利益を上げたのです。

アヘン戦争以降、ユダヤ財閥は競って上海へ上陸していきました。

上海における当時のユダヤ人の人口は、中東出身のアラブ系ユダヤ人が700人、欧米系の白人ユダヤ人が4000人ほどで、白人系が圧倒的に多かったのですが、アラブ系のユダヤ人で英・米・仏国籍の有色人種系ユダヤ人が、あらゆる点で支配的勢力を占めていました。

サッスーン財閥は有色人種系ユダヤ人でしたが、上海屈指の豪商だったのです。
サッスーン家はロスチャイルド家とも血縁関係を結んでいます。

ロスチャイルド家はドイツのフランクフルトが出身地ですので、白人系ユダヤ人です。
ナチスの迫害を逃れ、イギリスを本拠地としました。

「サッスーン財閥」は、イギリスでもロスチャイルドと並び称されるユダヤ人大財閥でしたが、いろいろな点でロスチャイルドとは対照的でした。

何よりも、ロスチャイルドがヨーロッパのユダヤ人であったのに対し、サッスーン家はアジアのユダヤ人、「海のシルクロード」で活躍するユダヤ人であった点です。

「陸のシルクロード」も「海のシルクロード」も古くからユダヤ人の生活の舞台であり、8世紀から12世紀にかけて、これらの地域がイスラム世界に包摂されるようになっても、引き続きユダヤ人は、活動の場を広げていきました。

もともとイスラム世界には「ユダヤ人」という考え方はなく、イスラム教もユダヤ教も原典とする旧約聖書の「啓典の民」ユダヤ教徒として自治が認められ、各都市で一定の役割を与えられるようになっていました。

サッスーン家の祖先も、代々、イスラム帝国の都であったバグダッドの名族で、オスマン帝国の支配下では、ユダヤの「族長」とみなされていました。

ところが18世紀後半になると、ユダヤ教徒に対する圧迫が強まり、19世紀前半バグダッドを脱出し、インドに活路を見出します。
1832年ボンベイにて「サッスーン商会」を設立し、本格j的に開始したのが、「サッスーン財閥」の始まりです。

サッスーン家が、バグダッドを脱出してボンベイで成功を収めることができたのは、インド洋交易圏に広がるユダヤ人ネットワークを通じたからであって、イギリスがアジア市場に進出してきたのも、ヴァスコ・ダ・ガマの大航海以前、既にアジアに存在していた、中国からインドを経てアラビア世界にいたる交易圏を前提にしていたのです。

大川は、インドの独立運動家ラース・ビハリー・ボースを支援したことは、前に述べましたが、ボースを一時、自宅に匿うほど熱心だったのです。

ボースを支援するにあたり、大川はインドについての情報をサッスーン財閥から得ていたのだろうと思います。

大川は、やはりバクダッド出身で、英国籍の有色人種系ユダヤ人であるハードン財閥とも接触していたようです。
ハードンとサッスーンも対照的でした。

ハードンはサッスーンと同じくバグダッド(現イラク)に生まれたユダヤ人ですが、サッスーンのようなユダヤ名族ではなく、5歳でボンベイに移住し、1873年サッスーンで働いていた父の友人を頼って、香港から上海に来たときは無一文でした。ハードンは上海の「サッスーン商会」に雇われた後、1901年独立し、不動産業に乗り出しました。

サッスーンが、イギリスの爵位を得てイギリス上流階級入りを果たし、ロスチャイルドとも縁戚関係を結んだのに対し、ハードンは租界の範囲において、1887年にフランス租界公董局董事となり、1998年には共同租界工部局董事になるほか、さらに中国そのものに同化していきました。
この点では、彼の中国人妻・羅迦陵の影響が大きかったようです。
彼女の影響でハードンは篤く仏教に帰依し、1904年には、「ハードン花園」を建造して中国の人士と交際するサロンとしました。
その中には清朝の皇族から革命家の人物まで含まれていました。

しかし、サッスーンは武器売却先の軍閥など取引先相手を除いて、租界の外の中国人とは交わらず、盛んに行った慈善事業の対象も、中国ではなく、世界のユダヤ人同胞が中心でした。

大川は、ハードンとの接触によって、清朝の皇族から革命家まで交際範囲を広めつつ、ユダヤの情報を収集していったのだと思われます。

注目すべき点は、大川が接触したユダヤ人であるサッスーンもハードンもバグダッド出身の有色人種系ユダヤ人であったことです。

ユダヤ人利用論者と指摘のある、大川と鮎川義介も対照的です。
鮎川が「河豚計画」で対象としたユダヤ人は、白人系ユダヤ人でした。
ナチスの迫害から難を逃れた白人系ユダヤ人を満州に迎え入れる計画だったわけです。
当時の日本のシオニズム運動家であった、新渡戸稲造、矢内原忠雄も白人系ユダヤ人を対象にしていました。

それに対し、大川は有色人種系のユダヤ人と関係を深めています。

大川は、シオニズム運動が、パレスチナのアラブの犠牲の上に成り立つという事態をいちはやく知るにつれ、白人系ユダヤ人を対象としたシオニズム運動は虚構のものであるということを見抜いていたのではと思われるのです。

大川もやはり、もともとキリスト教徒でしたが、イスラム研究をライフワークとしました。
晩年、コーランの全文和訳という大業を果たしています。

満鉄調査部に在籍し、有色人種系ユダヤ人との交流とイスラム研究の過程において、当時の「日ユ同祖論」が、白人系ユダヤ人を対象としていたことに対しても、虚構であることを見抜いていたのではと思います。

東京裁判において、大川は不起訴となりましたが、連合国側としては、大川がユダヤ財閥とのつながりによって知り得た秘密を暴露されることを恐れたのだろうと指摘されています。
また、大川が「君民共治」を全面に出して論陣をはることにも危惧を抱いたのであろうと指摘されています。


インドのパール判事が、各被告は各起訴全て無罪とし、多数判決に同意し得ず、反対意見を述べたのは、注目すべき点です。

「君民共治」とは、ユダヤ人が理想とした政治形態だったようです。
サッスーン財閥の顧問をしていた人でモルデカイ・モーゼというユダヤ人がいます。

彼は、ソ連からドイツに亡命し、国際連盟労働局で極東問題を担当していました。
独ソ不可侵条約が結ばれるやいなや、その本質がユダヤ勢力の抑圧にあることを看破し、ハルビンを経て上海に亡命しています。
1941年には米国へ亡命し、対日戦後処理の立案にも関わりました。
戦後は10数回来日し、日本研究に余生を送りました。

そんな彼が著したのが「日本人に謝りたい」(1979年出版)という一冊です。
詳しくはこちら
を参照してください。

このなかで彼は、「君民共治」について、ユダヤ人でもある啓蒙主義の大思想家、ジャン・ジャック・ルソーが著した「社会契約論」の中の次の一節から説明しています。
「人もし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に利害関係の対立のない国を選ぶ。自分は君民共治を理想とするが、そのようなものが地上に存在するはずもないだろう。したがって自分はやむを得ず民主主義を選ぶのである。」

ここでいう「君民共治」とは、君主が決して国民大衆に対して搾取者の位置にあることなく、したがって国民大衆も君主から搾取されることのない政治体制のことです。

モルデカイ・モーゼは世界で唯一この理想を日本の天皇制において実現されていることに驚き、戦後、日本を尊敬し、こよなく愛するようになったのだそうです。

大川が、上海にて「サッスーン財閥」と関係を深めている間に、モルデカイ・モーゼとも交流があったであろうことは想像に難くありません。

以上、ジャーナリストの岩上安見氏とのインタビューの中で、板垣先生があげた5人について、私なりに考察をしてみました。
この5人は、皆シオニズム運動に関わり、多かれ少なかれ、好むと好まざるにかかわらず、「日ユ同祖論」に関与していました。

板垣先生は、インタビューの最後に、ご自身が子供のころ洗礼をうけたクリスチャンであることを打ち明けられたのは、とても印象的でした。


ちなみに私は、毎朝、仏壇に手を合わせる仏教徒であり、正月には神社を参拝し、クリスマスイブにはケーキを食べる、ごく普通の日本人です。

岩上氏による板垣先生のインタビューから⑧日本の知識人4

板垣先生があげられた5人のうちの最後は、大川周明についてです。
大川の思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面ではアジア主義を唱えました。

東京裁判においては、民間人として唯一A級戦犯の容疑で起訴されましたが、精神障害として不起訴になっています。
コーラン全文を翻訳し、日本のイスラム研究の礎を築いたひとでもあります。

北一輝、満川亀太郎らと親交があり、三月事件・十月事件・血盟団事件などほとんどの昭和維新に関与し515事件では有罪判決をうけ、服役しています。

満州国の建国を支持し、「日中連携」を不可欠とし、日中間の戦争を望まず、太平洋戦争についても時期尚早として、日米戦回避のために開戦前夜まで奔走しました。

頭山満、犬養毅、内田良平らアジア独立主義者が支援したラース・ビハリー・ホースとも大川は親交を結んでいます。


右翼の頭山、内田が、「日ユ同祖論」者の出口王仁三郎と深い繋がりがあったのは、前述の通りです。

ボースには二人いて、もうひとりがチャンドラ・ボースで、ラース・ビハリー・ボースは中村屋のアトリエに匿われたことから、中村屋のボースと呼ばれました。

二人ともインドの独立運動家ですが、体調をくずしたラースはインド独立運動の全権をチャンドラ・ボースに委譲し、ラースは名誉総裁にとなった経緯があります。

大川は太平洋戦争回避に奔走したのですが、開戦直後、一転してNHKラジオで連続講演をおこないます。
これは米英となぜ開戦に至ったのかを国民に納得させるためのものでした。

大川は、ペリー以来のアメリカ外交について、日露戦争以後のアメリカの変化は、中国進出という目的をもったアメリカ帝国主義が、露骨に日本とぶつかってきたものであると分析しています。

大川は東京裁判については、連合国の日本に対する復讐であり、日本人が二度と米英に歯向かわないようにする「教育」の場であると認識していたようです。

大川がA級戦犯となったのは、ニュルンベルグ裁判でナチズムの理論家ローゼンベルグ博士が起訴され絞首刑になったのを踏まえ、日本でも誰かいないかと引っ張りだされたのだという指摘があります。

大川はこの裁判の本質を見抜き、反論する能力が十分にあった故に、キーナンらが忌避したのではないかとの指摘があります。

大川もシオニズムに関心を寄せていました。
大川の出世作「復興亜細亜の諸問題」では、1922年の初版ではあった「猶太民族の故国復興運動」の章を1939年の再販以降、何の説明もなく、すべて削除してしまっています。

大川は、1920年代以降の日本のシオニズム運動の展開は、パレスチナのアラブの犠牲の上に成り立つという事態が明らかになってゆき、「復興亜細亜」という観点からは、シオニズムをそのような事例に入れるのは難しくなっていったということが背景にあったようです。

また、同時期の矢内原忠雄のシオニズム論は大川とは対置するものであり、第一次世界大戦直後の日本の知識人のシオニズム理解が1920年代から1930年代にかけて急激に変化したことがうかがえます。

当時、大川は満鉄調査部に籍を置く身であり、矢内原は新渡戸稲造の後任として、国際連盟に籍を置く身でした。


2014年10月29日水曜日

岩上氏による板垣先生のインタビューから⑦日本の知識人3

次に、出口王仁三郎についてです。
結論から言ってしますと、出口も「日ユ同祖論」者だったのです。
出口王仁三郎は「大本教」二大教祖の一人です。もう一人の教祖は出口なおです。

板垣先生もヒントのように指摘していましたが、エスペラントが「大本教」で大きな意味合いを持ちます。

エスペラントの創始者は、1887年、帝政ロシア支配下ポーランドのユダヤ人、ザメンホフが発表した国際語です。
エスペラントはイスラム教のシーア派系「バハイ教」の関係で「大本教」に持ち込まれました。

「バハイ教」はイスラム教の宗派とは言うものの、全ての宗教が一つという宗教です。
世界の主要な宗教の教祖、つまり、クリシュナ、仏陀、ゾロアスター、アブラハム、モーゼ、キリスト、そしてモハメットは、それぞれの時代の人類の発達の段階に適した教えと法により、同じ一つの神から人類を教育せんがために遣わされた聖なる教育者であると、教えているのだそうです。

「大本教」の教えも、「一神即多神即汎神」で、「万教同根」として、右も左も抱える化け物となって、後に弾圧されます。

日本エスペラント教会は、酒井勝軍(日本ピラミッド論の開祖、機関誌「神秘の日本」などを発行)など「日ユ同祖論」者が多いことで知られています。
設立者の中心人物の黒坂勝美は東京帝国大学名誉教授で、日本古代史の博士です。現在読まれている「日本書記」は黒坂が編集したものです。

新渡戸稲造は国際連盟の事務局次長時代の1921年、プラハのエスペラント世界大会に日本政府代表として参加しています。

板垣先生は、次のように指摘していました。
「国連に頼まれて植民地統治をする、という仕組みが第一次大戦後作られたわけですが、日本はそれをミクロネシアに適用していくわけです。」

この植民地政策の仕組みがミクロネシアで実行されている最中、「大本教」はミクロネシアで布教をしているのです。

アジアにおいては、中国の軍閥や日本の右翼(頭山満、内田良平)と関係を結び、北京に「世界宗教連合会」を設立しています。
特に満州においては、世界紅卍字会と提携して積極的に進出しました。
あたかも、新渡戸たちの、植民地政策とエスペラントの普及を追随するがごとく、布教範囲を広げていったのです。

「大本教」と王仁三郎は民族主義(天皇中心主義、日本至上主義)と世界宗教性の振れ幅が大きく、対応に苦慮した日本政府は警戒を強めていったのです。

「大本教の」右翼の起源の一面としては、アジアでの活動を重視して、玄洋社の頭山満(アジア主義者の巨頭)、児玉誉士夫、笹川良一らと協力関係にあった生長の家(大本教から派生)、安岡正篤の紅卍会、黒竜会の内田良平らの右翼と連携してつくった「昭和神聖会」などです。

戦中の「大本教」に陸軍が多かったのは、「河豚計画」にもあったように、東欧の白人系ユダヤ人を満州に迎え入れ、上海租界地に移住させるにおいて、右翼の頭山満などが関わっていたことによるようです。

「大本教」への弾圧は、治安維持法違反と不敬罪により、幹部・関係者、主だった信徒の逮捕拘束となり、教団の全建物・施設がダイナマイトによって徹底的に破壊されました。

ダイナマイトと言えば、ノーベル賞のアルフレッド・ノーベルが発明したものですが、ノーベルは「死の武器商人」という一面も持ち、ロスチャイルドとの提携関係によって、莫大な資産を築きました。

「大本教」への弾圧後、血盟団事件、515事件をたどり、226事件へと向かいます。
226事件においては、皇道派の影響を受けた青年将校らによって、高橋是清大蔵大臣が暗殺されます。
高橋是清は日露戦争において、ロスチャイルドのジェイコブ・シフから、戦費を調達した当人です。

ナチスによるホロコーストは、東欧の白人系ユダヤ人の満州ユダヤ王国構想につながり、頭山ら右翼のアジア主義の根幹を作っていくわけです。

エスペラントついては、ヒトラーとスターリンにより、彼らがその人道主義性と博愛性に危険を感じ、エスペランティストたちは粛清されました。


ヒトラーは1925年の「我が闘争」のなかで、「ユダヤ人は離散しているので、各地の人々の言語を話しているが、もし各地の人々を隷属させたら、より簡単に彼らを支配するために世界語(たとえばエスペラント)を習わせるだろう」として嫌悪感を表明し、政権をとった後でエスペランティストを迫害しました。


「大本教」の左翼的一面としては、出口なおの「王仁三郎こそ、みろく神」という啓示により、王仁三郎を神格化してしまいます。
みろく神とは、弥勒菩薩のことですが、キリストでもあるとの解釈です。

これは、現人神である明治天皇への不敬罪として、治安維持法適応の根拠とされ、弾圧へと向かいます。

王仁三郎は、その著書「霊界物語」、「神霊界」のなかで、ユダヤ人が日本に渡来してきたと言及している「日ユ同祖論」者で、旧約聖書の中の失われた12支族のうち、一番いいのが日本に来ていると言っています。

フリーメーソンについても、「石屋」として言及しており、「大本教」から派生した「生長の家」はフリーメーソンであった鳩山一郎も支援していたようです。

徳富蘆花、内村鑑三もキリスト教プロテスタントとして、「日ユ同祖論」者とつながっていたわけですが、徳富は「大逆事件」で幸徳秋水の死刑阻止の嘆願に奔走し、内村は「不敬事件」で世間を騒がせたことは、前に述べましたとおり、およそ右翼とは正反対の人たちだったわけです。

新渡戸たちの植民地政策に便乗するかのように、陸軍やアジア主義の巨頭である頭山満らと関係を深めつつ、一方では、ヒトラー、スターリンがその人道主義性と博愛性を危険視したエスペランティストたちと協同歩調をとりながら、「大本教」は、右から左まで飲み込んでしまうような怪人である出口王仁三郎によって、布教範囲を広めていったわけです。


そこには、やはり「日ユ同祖論」が深くかかわっていたのです。

岩上氏による板垣先生のインタビューから⑥日本の知識人2

柳田國男が国際連盟委任統治の委員として、ジュネーブに赴任した時は、農商務省の役人を退任した後、朝日新聞の客員でした。

柳田と同じ農商務省から、新渡戸の肝いりで、国際連盟の事務局員としてジュネーブに赴任していたのが、藤沢親雄です。彼は、帰国後、東大講師、九州帝国大学法学部教授となっています。

藤沢は「日ユ同祖論」を唱えていました。これは、日本人とユダヤ人の先祖が同一であるという考え方です。

柳田と藤沢はジュネーブ時代、親密な交流があり、柳田は藤沢の「日ユ同祖論」にかなり興味をもっていたようで、パレスチナへの出張を希望しましたが、外務省に差し止めされています。

藤沢はその後、ナチス讃美者になっています。
シオニズム運動は、ナチスとシオニストの協力関係のもとになされたという、板垣先生のご指摘がありましたが、見事に一致していると思います。

藤沢の「日ユ同祖論」のユダヤ人は、東欧の白人系ユダヤ人を想定したものと思われます。
一方、柳田はどうかというと、彼は農商務省の役人時代、「天狗の話」を著しています。
この中で「山人」がキーワードとなっています。「山人」のなかに天狗が見うけられると書いています。柳田は「山人」を日本列島の先住民の末裔の「異人種」だと指摘し、琉球民族とアイヌ民族にも言及しています。

これらは皆、縄文人と一括りにできると思いますが、彫が深く、濃い顔立ちで、なかでも鼻の高い人を天狗とみなしたようです。
柳田はアラブ人のような有色人種系のユダヤ人を想定したのではないでしょうか。

板垣先生は「俘囚」という言葉をヒントとして指摘しています。
ユダヤ人のバビロン捕囚を俘囚と表記する場合があります。

日本おいての俘囚は、縄文人の末裔であり、柳田も俘囚として、大和朝廷に翻弄されたサンガについて触れています。

サンガとは、古代インドの一部でみられた政治形態で、「集団」、「組合」を意味し、仏教修行者の集団も意味するようになります。

日本においてのサンガは、かつて存在した非定住民の集団とされ、狩猟、騎馬にすぐれていました。

サンガはスサノオの神話から派生していて、柳田は旧約聖書の「イスラエルの失われた10支族」に思いをはせたのではないかと想像されます。

柳田は民間伝承をもとに、「民俗学」(フォークロア)を確立した巨人ではありますが、多くの謎を指摘されています。

「遠野物語」の河童伝説ばかりが有名ですが、多くの文献を発表しています。
しかし、性の表現や差別の問題などを意識的に避けています。

私は柳田の研究目的の一つは、西方から日本列島に移民してきた民族の探求、言い換えれば、縄文人と有色人種系ユダヤ人の比較研究だったのでは思っています。

柳田は、戦前、戦中、戦後と長期間、文献を発表し続けますが、それぞれの期間において、タブーとされる内容について封印せざるをえない原因があったのだと思います。

戦前の「日ユ同祖論」は、「河豚計画」の中で捏造されたものと言われています。
「河豚(ふぐ)計画」というのは、ドイツで迫害された白人系ユダヤ人を満州に招き、日本の支配下にイスラエルを建国させて開拓させようとした計画です。

同時に、日本の満州支配に否定的なアメリカを懐柔する意味もあり、ユダヤ資本の日本への投下も目論んでいました。

日産コンツェルンの鮎川義介、陸軍大佐安江仙弘、海軍大佐犬塚惟重らが中心となって計画しています。

「河豚計画」の名は、1938年7月の犬塚の演説に由来します。ユダヤ人の経済力、政治力を評価した犬塚は、「ユダヤ人の受け入れは日本にとって非常に有益だが、一歩間違えば破滅の引き金ともなりうる」と考えました。犬塚はこの二面性を、美味だが猛毒を持つ河豚に擬えて、「これは河豚を料理するようなものだ」と語ったのです。
この計画を推進するうえでも、「日ユ同祖論」が非常に有効だったのです。

エストニアの杉原千畝大使が、ユダヤ人に大量の旅券を発行できたのにも、こうした背景があったのです。

このころの「日ユ同祖論」の対象は白人系ユダヤ人であり、柳田の研究の対象は有色人種系ユダヤ人だったのだと思われますが、柳田はいらぬ誤解を招き、政治的混乱に巻き込まれるのを避けたのだと思います。

昨今の遺伝子学、DNA鑑定の進歩で、縄文人は海のシルクロード及び陸のシルクロードから渡来してきているという学説があります。

海のシルクロードにより、台湾を経由して沖縄から列島に行ったルートと、陸のシルクロードにより、大陸内で分岐し、朝鮮半島を経由して列島に入ったルートと大陸を北上し、満蒙、樺太を経由して北海道そして列島に入ったルートがあるようです。

板垣先生は長野の諏訪にお住まいなのだそうですが、諏訪は縄文時代文化の中心地で、ご自分の研究の一環でもあるそうです。

諏訪大社は世界中のユダヤ教徒が参拝にくることでも有名です。
この辺のことも後々触れたいと思います。

日本人とユダヤ人の関係は、NAVERまとめ
こちらが解りやすくまとめられていますので、ご参照ください。


話がまた大分脱線しましたが、本題に戻ります。

日本のキリスト教シオニストの系譜が徳富蘆花まで遡ることは、前に述べました。
徳富蘆花は兄の徳富蘇峰(思想家、ジャーナリスト、東京新聞の前身である「國民新聞」主宰)の影響を受けましたが、兄の蘇峰が国家主義的傾向を強めるにつれ、絶縁状態となります。
大逆事件(明治天皇暗殺計画の企て)の際、幸徳秋水らの死刑を阻止するため、蘆花は兄の蘇峰を通じて桂太郎首相に嘆願しますが、間に合わず幸徳秋水は処刑されていまいます。

内村鑑三は無教会派を通じて、日本独自のシオニズム運動を展開したことは前に述べました。
内村は非戦論者として有名でしたが、「不敬事件」(明治天皇の親筆の署名に対して最敬礼しなかった。敬礼の仕方が不充分だっただけ。)で、全国に喧伝され、キリスト教と国体の問題に進展してしまいます。

柳田國男は農商務省の役人時代、農政学を専門としていましたが、これは植民地政策そのものです。
新渡戸稲造はアメリカ流植民学を導入しようとしました。これは「未開人」を「近代人」に同化させよういう考え方です。
矢内原忠雄は植民政策学の学者として東大で教鞭をとりました。
柳田、新渡戸、矢内原は三人とも、植民地政策の専門家だったわけです。


徳富をはじめとして彼らの思想は、本人たちの好むと好まざるに関わらず、アジア主義の下地を形成していったわけです。

2014年10月28日火曜日

岩上氏による板垣先生のインタビューから⑤日本の知識人1

板垣先生は、大正時代の日本の知識人で、日本人の思想形成を担った人物として、内村鑑三、徳富蘆花、大川周明、柳田國男、出口王仁三郎の五人をあげています。
彼らはいずれもバルフォア宣言に関心を持っていたのだそうです。

ここでもう一度、岩上氏による板垣先生のインタビューの一節を引用します。
「徳富蘆花は夫婦でエルサレムに行くんです。」。
「柳田國男もパレスチナと関わりがありました。彼は国際連盟委任統治の委員としてジュネーブに行って仕事をしました。国連に頼まれて植民地統治をする、という仕組みが第一次大戦後作られたわけですが、日本はそれをミクロネシアに適用していくわけです。」

国際連盟委任統治の仕組みが、台湾、朝鮮半島、満州の植民地政策に反映させられ、アジア主義の下地となったのだと思います。

サイクス・ピコ協定、バルフォア宣言の後1920年、当時の主要連合国(イギリス、フランス、日本、ギリシャ、ベルギー)によるサンレモ会議が開かれました。

サンレモ会議の結論を国際連盟が承認し、パレスチナのイギリス委任統治が国際的に確定されたのです。

日本も歴史上、当時の主要国の一員であったこともあり、シオニズム運動に加担してしまっていたわけです。

板垣先生があげた5人について、私なりに考察してみたいと思います。

日本のキリスト教シオニストの系譜は徳富蘆花にまでさかのぼります。徳富蘆花は、キリスト教の影響を受け、トルストイに傾倒します。
1906年にエルサレムに巡礼の旅に出て、トルストイとも会うことができ、帰国後「順礼紀行」を著しました。
(トルストイが著した「戦争と平和」はクリミア戦争が舞台となっており、今のウクライナ危機も、ここを基点に考えるべきなようです。ロシア帝政時代のユダヤ人への集団的迫害行為「ポグロム」がキーワードです。)

徳富は1920年には世界一周旅行をして、途中やはり、エルサレムに立ち寄っています。
帰国後、著したのが「日本から日本へ」です。

この題名は一般には、日本を出発して、世界を一周し、日本に帰ってきたからという解釈がされています。
たしかに、欧米を回ってきていますが、目的はやはりエルサレムだったのだと思います。

話は飛躍しますが、日本の平安京はユダヤ人の言語であるヘブライ語に訳すと「エル・シャラーム」となります。
つまりエルサレムなのです。

これも余談になりますが、アインシュタインがユダヤ人で親日家であったことはよく知られています。彼が伊勢神宮を参拝した時に、感激のあまり泣き崩れてしまったという逸話があります。
あまりの美しさによるものと、解釈されていますが、私は彼の直感力が伊勢神宮を観たとき、心の故郷であるエルサレムを想起させたためではないかと思っています。

平安京、伊勢神宮とユダヤの関係は後々触れたいと思います。

話が脱線しましたが、徳富蘆花が著した「日本から日本へ」は、つまり「平安京からエルサレムへ」だったのではないかと思っています。

徳富蘆花が二度目にエルサレムを訪問した1920年は国際連盟が設立された年です。
新渡戸稲造が事務局次長になりました。
後任が矢内原忠雄です。
柳田國男は国際連盟委任統治の委員として、ジュネーブに赴任しています。

新渡戸稲造と内村鑑三は札幌農学校(後の北海道大学、「少年よ大志をいだけ」のクラーク博士の影響を受ける。)時代の級友です。
この時期、二人とも、洗礼を受けキリスト教徒になっています。
新渡戸が英文で著した「武士道」は、欧米でベストセラーとなりました。

1909年、新渡戸の提唱で「郷土会」が発足します。
これは自主的な制約のない立場から各地の郷土の制度、慣習、民間伝承などの事象を研究し調査することを主眼としました。

この中の主要メンバーに柳田國男がいたのです。

徳富蘆花の講演を高校生時代に聞いた矢内原忠雄(経済学者、植民政策学者で東京大学総長)は強い感銘を受けるとともに、同じ年に内村鑑三によって始められた無教会派の聖書研究会に参加するようになったのです。

内村鑑三の無教会派は日本独自のキリスト教運動で、教会制度を否定し、日本の精神的伝統(新渡戸の武士道や柳田の民間伝承)とキリスト教精神との調和をめざしたのです。

矢内原は1922年パレスチナに行きましたが、イスラエルの復活は聖書の預言の成就であるとしてシオニストの活動に注目しました。

このように日本におけるキリスト教シオニズムの運動はヨーロッパから伝播した伝統的な教会制度から距離を置いた独自のものとして発展したのです。

岩上氏による板垣先生のインタビューから④新市民革命

今年、マレーシア航空機は2度にわたって大事件に遭遇しました。
3月8日マレーシア航空370便はインド洋で消息をたち、7月17日マレーシア航空17便はウクライナ上空にて撃墜されました。

370便は今だ行方不明ですが、インド洋上のイギリス領ディエゴガルシア島にある米軍基地に格納されたとされる未確認情報が指摘されています。
17便についても、今だ墜落原因も不明のままで未解決となっています。

マレーシアという国はイスラム教を国教としています。
マハティール元首相は依然として、影響力を持っています。
マハティールの反イスラエル、反欧米白人主義は有名ですが、アメリカのイラク、アフガニスタン紛争に激しく抗議し、イスラエルのガザへの虐殺に対しても激しく非難している最中、この二つの航空機事件は発生しているのです。

マレーシア政府は要人をパレスチナに派遣し、ヨルダン川西岸のファタハとガザのハマスが仲たがいしているのを、イスラム共同体(ウンマ)の仲間として、喧嘩している場合ではないと仲介の労をとっていた時期と重なっているのです。

シンガポールはマレーシアから分離独立しましたが、今ではイスラエルの前線基地となっているというのが、板垣先生の見立てであり、驚きを禁じ得ませんでした。


前線基地とは言っても情報戦でしょうからモサド(イスラエルの諜報機関)の拠点ということでしょう。
これは隣国の対マレーシアはもちろんのこと、中国、ひいては日本もその範疇に入るはずです。

マハティールの「ルックイースト政策」は日本を見習えというもので、たいへん親日です。
マハティールの情報発信力は、東南アジアのイスラム教徒はもちろんのこと、中国に散在する回族及び新疆ウイグル自治区への影響も必至でしょうし、チベットにも飛び火するかもしれません。
中国に混乱が生じるようなことがあれば、尖閣の問題を抱える日本に対しても影響は必至となるわけです。
沖縄の米軍基地問題も言わずもがなでしょう。

マレーシア航空17便が撃墜された7月17日は旧約聖書のノアの方舟の物語で人類が再出発した日です。

前日のハマス側からイスラエルに対しての停戦条件の提案は、封鎖を解除してほしいという「当たり前の生活の要求」だったのですが、翌17日、17便が撃墜され、停戦案を踏みにじるかのように、イスラエル地上軍によるガザへの侵攻がなされたのです。

旧約聖書はユダヤ、キリスト、イスラムの原典です。
ノアの方舟の物語にあるような教えに逆行するような悪行は、なにか深い意味が隠されているように思えます。
17便と17日という同じ数字なのも不気味です。

余談になりますが、7月17日は日本では祇園祭りの日です。
パレスチナのエルサレムのある地を意味するシオン(Zion)は英語読みではズィオンで、これがギオンに転化したようです。
このことについては後々触れたいと思いますが、長い歴史のなかで、日本とパレスチナは深い繋がりがあったようです。

板垣先生はイスラム国(ISIS)には、あまり好意的ではないようですが、カリフ制というものには注意を喚起されています。

ガザに端を発したインティファーダという民衆蜂起は非暴力の抵抗運動として中東から、アフリカ、アジアへと波及するであろうと指摘されています。
これを新市民革命(ムワーティン革命)と呼んでいます。

インティファーダが波及するにあたっては、イスラム民衆のカリフ制への憧れともいうべき大義が土壌となりうるであろうとのことです。
マハティールも率先して東南アジアにおいてその影響力を行使するものと思われます。

板垣先生は結論として、白人による欧米列強主義は断末魔を迎えるであろうと予言されています。
世界経済学的には、シオニストは自己破産プロジェクトを進行中と断じています。

シオニストはその武力、財力の影響力により、なにをしても免責されるという立場を維持できてきましたが、ホロコーストによる自己の正当化が虚構であったことが、白日のもとにさらされるにおよび、免責される根拠を失い、自己破産へと自暴自棄にならざるを得ないことは、本人たちが一番よくわかっているはずとのことです。


ムワーティン革命が成就するときが来るとすれば、それはイスラエルの民衆が過去の呪縛から解放され、自らパレスチナ難民を迎え入れ、また共存共栄できる日がくることなのであろうと思います。

2014年10月27日月曜日

岩上氏による板垣先生のインタビューから③中東の現状

イスラム教の教えるタウヒード(多即一)とは「ちがいを大事にすることこそ一体性の土台」・バラバラでいっしょ・多様性あふれる宇宙の創造主を信じるという考え方です。
この考え方は日本の仏教の華厳経にも通じると板垣先生は言っておられます。

旧約聖書を原典とするユダヤ、キリスト、イスラムこの三つの宗教はそれぞれ一神教であり互いに排他的であるため、宗教戦争の一因とされてきました。
しかし元々同じ教えであることに違いはなく、排他的になった原因は人間が作ったもので、現実にはパレスチナにおいて、共存共栄できた時期があったのです。

さて、また話を本題にもどします。
イスラエルによるガザへの虐殺は休戦状態といえども虐殺は続行中です。
ガザは完全に封鎖されたままなのです。
物資を調達する唯一の窓口であったエジプトとの国境にあるトンネルはすべて破壊されてしまったのです。
これはガス室に閉じ込められて毒ガスを徐々に注入されているのと同じ状態です。
虐殺以外のなにものでもありません。

ガザの人たちによるインティファーダは非暴力による民衆蜂起です。
板垣先生はこれが新しい市民革命(ムワーティン革命)に発展するであろうと指摘されています。
ムワーティンはアラビア語で「市民」を意味します。
学術用語としては、近世ではラテン語が主流でしたが、それ以前の中世ではアラビア語が主流だったのだそうです。

パレスチナの人たちは元々ユダヤ人の子孫であることは述べましたが、大半はイスラム教徒です。
インティファーダが世界中のイスラムに飛び火してゆく可能性があるということのようです。

非暴力による抵抗運動は、インドのマハト・マガンジーによるイギリスからの独立、南アフリカのネルソン・マンデラによるアパルトヘイトの撤廃という勝利に導いた歴史があります。

一方、中東のイラク、シリアにおけるイスラム国(ISIS)の台頭は別の側面を見せています。
イスラム国はカリフ制を掲げました。
これは、欧米にとっては一大事のようです。

カリフとはイスラム共同体(ウンマ)の最高権威者であり、スルタン(国王、皇帝)よりも上位となります。

カリフ制をとるということは、サイクス・ピコ協定により人工的に英仏によって引かれた国境をなくすことを目指すということになるのです。
これはどういうことを意味するのでしょうか。

中東は石油の産地です。といっても採れる国と採れない国があります。
カリフ制とは中東のイスラムは国境を失くし、皆共同体となり、石油は共同体内で分配しようというわけです。

一例として、石油の採れるサウジアラビアはサウード家が支配する王国で親米です。
民衆は搾取され抑圧されていて、カリフ制を歓迎してしまう土壌があるのです。

サウジアラビアの民衆へも、ガザによるインティファーダの抵抗運動が飛び火し、王制打倒への相乗効果を生む可能性が潜んでいます。

イスラエルという国は、欧米のシオニストのための中東における石油利権の警察役というのが本来の目的であり、金儲けのために建国されたわけです。

イスラム国が欧米の人質の首を切って処刑する映像がインターネット上で配信され、その残虐性は当然非難されてしかるべきです。
欧米がテロリストと決めつけ徹底的につぶしにかかることは当然といえば当然です。
石油の利権が奪われかねないわけですから。

ISISのその手法についていけないイスラムも多いため、つぶされる可能性のほうが大きいのかもしれませんが、一度火がついたカリフ制への民衆の潜在的支持は増幅され、第2、第3のISISが出てくるだろうと思われます。

ここで大事なのは、イスラム教においては非戦闘員を殺すことは禁じられています。
たしかに人質の処刑は残虐極まりないことですが、イスラエルによるガザにおける虐殺も、欧米によるイラク、シリアへの空爆も一般市民はもちろんのこと、小さな子供たちとその母親が殺されているのです。
この非対称性を見落とすと、ことの本質を見失うことになると思います。


岩上氏による板垣先生のインタビューから②引用文

シオニストの入植以前のパレスチナはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の人たちが争うことなく共存共栄していました。

以下、岩上氏による板垣先生のインタビュー
を少し長くなりますが引用します。

「中東の問題は、中東だけに限定して考えることはできません。米国の問題であり、かつ、ロシアの問題でもあります。イスラームについても同様です。ですから、中東のことを考えるということは、世界中の国際関係を考えることにつながります。」

「日本の近代の歴史は、ずっと世界戦争のなかにありました。まず問題となるのは、クリミア戦争です。これはちょうど、幕末から明治維新の時期にあたります。」
「クリミア戦争がどうして起きたかというと、パレスチナのベツレヘム生誕教会による聖地管理問題がきっかけです。各教会のバックには、ロシアとかフランスとか、列強がついているわけですね。日本はそういう世界情勢の中に置かれていたわけですね。」
「日露戦争の背後には、露仏協商があったことを忘れてはいけません。バルチック艦隊が迂回する際の燃料の提供はフランスが担っていました。日本も日英同盟があったからこそ戦争を戦えたのです。」

「現在のイスラエルは、ガザ侵攻を『自衛』だと言っていますが、ガザの市民を確信犯的に標的にしています。ガザ侵攻は、自衛権と抵抗権の戦いだと言えます。」
「元来の米国は、大英帝国に対する抵抗権によって成立したものです。今の米国人はそのことを忘れていまっているようですが」

「国連憲章には、日本の敵国条項がいまだに残っています。国連憲章の改正のためには加盟国の3分の2が賛成し、安保理を含む国が批准しなければなりません。日本が戦争の歴史を反省する姿勢を見せなければ、敵国条項の削除はないでしょう。」
「日本は、敵国条項の削除よりも、常任理事国入りを優先的に目指しています。さらに現在の安倍政権は、国連加盟国から疑念の目を持って見られています。靖国神社に首相が公式参拝するということは、そういうことです。」

「1933年にナチスが政権を握ったところから、ユダヤ人パレスチナ植民が始まりました。ロシア帝政期を上回るものです。」
「ナチズムなしには、今のイスラエルという国はあり得ません。シオニズムの運動は、ナチスと協力関係にあったと言えます。放っておいて、ユダヤ人がパレスチナに移っていくわけではないので、シオニズムは差別や迫害の力を利用したのです。」

「今、中東で台頭しているISISの思想とは、サンレモ会議を乗り越えようというものです。サンレモ会議とは、第一次大戦後、中東における英仏の勢力圏分割を規定したものです。今、こういう国分けのシステムを乗り越えようとしているのがISIS」
「ですから、中東では国境が消えてしまうかもしれません。中東から始まり、世界全体に『消える国』が波及していくかもしれません。また、米国を始めとする覇権国が衰えています」

「ハマスの側から、7月16日から停戦条件の提案がなされています。しかし、そのことは報道されていません。日本を含め欧米のメディアはこのことを流しません。」
「もう一つマレーシアのナジーブ首相の7月22日の声明が報道されたのでしょうか。マレーシアは航空機墜落直後から外相らがウクライナに行き、墜落地指導者のボロダイと会ってブラックボックスの回収や遺体の収取などを行いました。」
「第三者機関によって調査をすると、ナジーブ首相は声明で発表したわけです。しかし、主要メディアはオランダ政府の声明や米国の声明ばかりを報じています。しかし調査団の段取りを取ったのは、マレーシアとウクライナ東部のボロダイなのです、」
「欧米のメディアは、あたかもウクライナ東部の親ロシア派が妨害しているかのようなキャンペーンを張っています。そのことは全く報じられていません。」
「ウクライナ危機とガザ侵攻は、同時並行の事態です。マレーシア航空が墜落したのが7月17日17時15分頃で、イスラエル地上軍侵攻が7月17日22時頃です。この同時多発性に注目する必要があります。」

「2月のユーロマイダンでの騒擾では、元IDF(イスラエル国防軍)の青ヘル隊が暗躍しました。しかも、彼らはネオナチとくっついています。」
「ウクライナのユダヤ人が関わっていると考えることができるわけです。」

「17世紀にオスマン帝国の中で偽予言者が登場し、ユダヤ教的な週末論を唱えます。これはヨーロッパ中に大きな影響を与えるんですね。そして、この運動の中心がガザなんです。さらにこれと英国のピューリタン革命もつながってきます。」
「この偽メシアは、途中からイスラム教に改宗しちゃったりします。この影響が現代に残っているのがウクライナなんです。18世紀、ヤコブ・フランクというウクライナのユダヤ教徒がシャバダイ派運動を展開します。」
「彼はさらにキリスト教に改宗します。これが、ヨーロッパにおけるユダヤ人のキリスト教回収モデルになるんです。ですから、ウクライナの歴史は、辿っていけばガザにつながるんですよね」


以上、板垣先生のインタビューからの引用です。

2014年10月26日日曜日

岩上氏による板垣先生のインタビューから①シオニストの起源

この夏ジャーナリスト岩上安身氏の板垣雄三先生(東大名誉教授、日本中東学会会長、イスラム学者)へのインタビューを拝見し、感銘を受け、とても触発されましたので、(私自信どこまで理解できて、真実に迫れるのかは不明ですが、)その感想を述べたいと思います。

板垣先生は今、日本が置かれている状況は、尖閣、マレーシアも中東のガザ、ウクライナへとみな繋がっているとおっしゃっています。

ガザにおけるイスラエルの虐殺を第一次世界大戦の歴史から説明されています。
ウエストファリアー体制後、サイクス・ピコ協定により中東の国境はイギリス、フランスによって人工的に引かれました。
その後バルフォア宣言によりイギリス政府はロスチャイルドから資金提供の見返りとしてシオニズムの支持を表明し、イスラエルの入植、建国へと進みます。
イスラエルへの入植を促進した人たちのことをシオニストと呼ぶわけですが、シオニストは本来のユダヤ人ではないというのが結論です。

ユダヤ人の一般的な定義は、ユダヤ教を信仰する人たちのことと言われています。
しかし、血統的に本来のユダヤ人は有色人種系なのです。
白人系ユダヤ人の起源はハザール人というのが、定説になりつつあるようです。

ハザール帝国というのは、キリスト教とイスラム教、アニミズムの混在する国家だったのですが、キリスト教のビザンチン、東ローマ帝国とイスラム教のアッバース朝に挟まれ、両方から攻められ滅亡寸前までいったのですが、国家全体でユダヤ教に改宗することにより、破滅を免れた歴史があるようです。

キリスト教もイスラム教もユダヤ教も旧約聖書をその原典とし、派生したものなので、逆手にとったわけです。
したがって白人系ユダヤ人とは、その起源からして偽装されたものだったわけです。

シオニストが東欧からの入植者が多いのは、その東欧の地(ドイツ、ポーランド等)がハザール帝国からの難民が多数移動した地であることが所以です。

シオニストはこれらの人たちに限りません。
アメリカのキリスト教プロテスタントの右派(5000万人)いわゆるアングロサクソンプロテスタント(WASP)は積極的にシオニズムを支持してきたのです。

アメリカの軍産複合体のネオコンと呼ばれる人たちはプロテスタント右派であり、イスラエル支持者ということになります。

ユダヤ人は世界に分散していて、総人口は1300万人ほどです。
パレスチナ人の総人口は1000万人ほどです。このうち半分ほどが、パレスチナ自治区とイスラエル内にいます。残りの半分のほとんどが難民となっているわけです。
パレスチナ人の大半はイスラム教ですが、血統的には元々ユダヤ人の子孫なのです。

ちなみにイスラム教の総人口は16億人です。中東よりも、インドネシア、パキスタン、インド、バングラディシュ等の方が多く分布しています。
キリスト教は、カトリックが10.5億人、プロテスタントが3.6億人、ギリシャ正教が2.2億人というところです。

さて、話を本題にもどします。
イスラエルという国は、旧約聖書のなかでディアスポラ(離散)したユダヤ難民が再びカナンの地(今のパレスチナ)に建国するという物語を根拠としています。
しかし、シオニストはユダヤ人ではなかったのです。

今、ガザで行われている虐殺は、本来のユダヤ人の子孫であるパレスチナ人に対する、偽装されたユダヤ人のシオニストによるものであるという事実です。

イスラエルへの入植者の多くはナチスのホロコーストの難を逃れてきた人たちです。
ヒットラーは、シオニズムに加担していたことになります。
イスラエルの民衆は当然旧約聖書の物語を信じて入植していて、子供たちは修学旅行でホロコーストの現場であるアウシュビッツ収容所の見学をさせられます。
一種の洗脳といってよいでしょう。

イスラエルの統治者であるシオニストの権力者は二重の意味で民衆を騙していることになります。
ホロコーストそのものが本来のユダヤ人を対象としたものではなく、しかも入植、統治のための方便であり、民衆は嘘を信じさせられているということです。
結果的にヒットラー自身がシオニストそのものであったという驚くべき事実が隠されていたわけです。

似非ユダヤ人であるシオニストがガザの民衆を虐殺すればするほで、世界中のユダヤ人に対する反ユダヤ思想に火を注ぐ事態となっています。
似非ユダヤ人であるシオニストによる悪行によって、ユダヤ人がとばっちりを被っているのです。




2ねんぶりに、このブログを再開するにあたり


ほぼ2年ぶりにこのブログを書きます。
書こうと思い立った動機は二つあります。
一つはこの2年間というものコギングレス発電機の開発にてこずっていたのですが、何とか次のステージへ進める状況になってきて、精神的に余裕ができたことです。

もう一つの動機は、一昨年このブログの最期に次のように書きました。

「今、日本は過渡期という病気を発症している時期だと思います。
これは国民が現政権に対して、本当に自分たちを守ってくれるつもりがあるのかどうか不信感をつのらせている症状です。

過渡期を脱するためには、それなりの変革が必要です。
この変革のためには、それ相応の犠牲を出さねばならないのかもしれません。
明治維新、先の大戦を経ての変革いずれにしても多大なる犠牲のもとに変革はとげられました。

平和ボケしている今日どのような犠牲を出せば変革はできるのでしょうか。
犠牲はもうすでに出ているではないですか。
東北大震災による原発事故は単なる想定外の天災によるものではなく、人災によるものです。
放射線による内部被爆は想定外などと言っていられる状況ではなくなっているはずです。

この教訓を糧にせずして変革できないようでは、この国は本当に核武装し警察国家から軍事国家への道をまっしぐらとなってしまいます。
自由などという言葉は本当に無意味になってしまいます。」

2年前、以上のように危惧していたのですが、現在現実のものとなりつつあり、傍観していられなくなったからです。

私は「ものづくりや」ではあっても「ものかきや」ではないので、勝手気ままに書こうと思いますが、私自身のアイデンティティーにもかかわることも書こうと思いますので、変節のそしりを受けないように、備忘録として書き残したいと思っています。

私は憲法の前文にある「主権在民」、「恒久平和の祈願」、「政治道徳の法則」を信奉する国民の一人です。

今年71日の集団的自衛権の閣議決定に遡る、特定秘密保護法や武器輸出解禁、原発維持、輸出と再稼働準備、秘密裡のTPP交渉等どれ一つとっても民意に逆行しています。

私は自分の父、女房の母が広島原爆の被爆者であり、私も妻も被爆2世、私の息子は被爆3世であることもあり、核廃絶へ幾ばかりかでも貢献したいというのが私の仕事だと自負し、自然エネルギー(太陽光、地熱、風力、水力、潮力、波力等をいいます。)普及のためモーター、発電機の開発に携わっています。

被爆の影響が、遺伝子学的に子子孫孫には、薄まっていくのかも知れませんが、語り継がれるべき、原爆の悲劇の記憶が薄まっていくようなことがあってはなりません。
これは、福島の原発事故もしかりです。

福島の地域再生復興事業協同組合と提携しているのもこの考え方からです。
開発のための補助金を政府から出してもらおうと地元の人たちも大分骨を折ってもらったのですが、復興予算は政官と癒着した土建屋さんたちにおりるばかりで、我々製造業の中小企業には1円もおりていません。

それどころか被災地の復興そっちのけで、原発が再稼働されようとしています。
原発ムラの予算のいくらかでも自然エネルギーに振り分けてくれれば、日本の生産性は飛躍的に上がり、経済再生の特効薬になると思います。

欧米ではすでに原発から自然エネルギーにシフトし、新たな雇用を生んでいます。
アベノミクスはただ株価をつり上げるだけのまやかしであることが露呈してきました。
庶民の暮らしは悪くなるばかりです。

経済を立て直すには、ひとえに実態経済としての生産性を向上させることに尽きます。
自然エネルギーへの転換は日本経済再生の切り札になるはずですが、現政権は完全に逆行しています。

憲法については、私は改正すべき点は、改正すべきだとは思っています。
しかし、集団的自衛権の行使には反対です。
現行の平和主義の精神を受け継ぎ、専守防衛に徹するべきだと思っています。
攻撃されてもいないのに紛争に巻き込まれ、大義もなく、戦争に加わるべきではないと思います。


このままだと、アメリカの言いなりになり、中東、ウクライナの戦闘地域に自衛隊は派遣され、多くの死者が出るであろうことは明らかです。