2012年10月6日土曜日

ものづくりの現場から⑨

日本国憲法では、第一条で天皇は日本国の象徴であると規定しています。
そしてこれは日本国民の象徴ではなくて、日本国民統合の象徴とされています。
これはどういう意味なのでしょう?

この憲法は終戦直後、アメリカのGHQによって作られた原文がもとになっています。
その前の大日本帝国憲法では、天皇は日本帝国の国体であると規定されていました。

つまり、天皇そのものが日本帝国なのだとされています。
よくいわれる「現人神」とは天皇を神としていたことを意味します。

終戦当時、新憲法制定にあたって当時の日本政府とアメリカGHQの間でこの天皇の表現の扱いについて激しいやり取りがありました。
日本側としては精神の支柱ともいえる「国体護持」という考えを引っ込めることに強い抵抗があったのです。

アメリカの原文では「SYMBOL」です。この言葉にどういう日本語をあてるかで苦労したのです。
「象徴」ということばをあてたのは白洲次郎(吉田茂の腹心といわれた人です。)と言われています。
白洲次郎は若くして長い間イギリスに留学していたこともあり、英語もネイティブだったのです。

「主権在民」という人類が獲得した崇高なる原理を日本人も享受できるという喜びと、それとは相反する「国体護持」というそれまで日本人がアイデンティティーとしていた思想のはざまで、白洲次郎は思い悩んだ末、この「象徴」という非常にあいまいな言葉をその条文のなかに盛り込まざるを得なかったのだと思います。

主権者が天皇から国民に移ってはいますが、「象徴」という言葉は日本国民のアイデンティティーは天皇にあるというニュアンスを残す苦肉の策の表現のように見えてきます。

今、天皇が日本人のアイデンティティーでありえているのでしょうか?

いにしえの神話、伝承の時代は天皇ご自身が権力を行使していた時期があったのかもしれません。
しかし、日本の歴史上、少なくとも聖徳太子の時代以降は、建前上天皇ご自身が最高意思決定者ではあっても事実上は天皇を輔弼(補佐し、助言する)するものが実際の権力を掌握し行使してきました。

聖徳太子は天皇になり得なかった人ですし、平安時代の関白、室町、鎌倉、江戸時代の将軍も天皇を輔弼するという建前のもと、権力を行使してきたわけです。
いわば、万世一系の天皇のご威光のもと、その権威を利用して民衆を支配してきたわけです。

明治維新以降、先の大戦の終戦まで、現人神である天皇をお守りすることが、国民の最終目的とされてきました。

明治時代日本は当時最強といわれたバルチック艦隊を撃破したという世界史上において唯一、有色人種が白人に勝ったという奇跡の体験がありました。

この成功体験が昭和に入ってから日本という国の歯車を狂わせ始めます。
当時の軍部は天皇の統帥権を盾に無謀な戦争に突入し、戦局を拡大していき悲劇的な結末を迎えるにいたるのです。

この統帥権というものは、天皇の意思決定のもと権力は遂行されるわけですが、実際は軍部がお膳立てをし、御前会議で天皇が軍部の意向どおりの裁定を下さざるえない状況を作って行使されました。

つまり軍部は、統帥権という天皇の意思を口実に自分たちの責任を回避し、物理的にかなうはずもない相手に、バルチック艦隊を撃破できた過去の栄光に酔いしれながら狂気にはしっていったのです。

それでは、天皇は私たちにとって歴史上本来どういう存在だったのでしょうか。
キーワードは「神社」だと私は思っています。

日本各地いたるところに神社はあるわけですが、皆神主さんがいらっしゃいます。
天皇は全国の神主の頂点、つまり神主の親分だったのだと思います。
したがって、天皇ご自身が神なのではなく、ご先祖様を神としてお祈りし、お祀りするお立場だったのだと思います。

靖国神社は明治から先の終戦まで、れっきとした国家機関でした。
皆「靖国で会おう。天皇陛下万歳」と言って死んでいったのです。
靖国神社には、天皇のために命をささげることに喜びを感じている旨を綴った家族に宛てた特攻隊員の手紙が展示してあります。

天皇をアイデンティティーとしてきたこの人たちは、それを否定された瞬間、自分たちの死が無駄であったことになってしまうわけです。遺族にとっては耐え難いことです。

しかし私は、靖国神社というものは日本人の本来のメンタリティーにはそぐわないものだと思っています。

日本人が戦争をして、戦死者をお祀りするのは、殺した相手を祀り、慰霊鎮魂するのが先です。
聖徳太子ゆかりの法隆寺しかり、菅原道真を祀った天満宮しかりです。
これらは時の権力者が戦争で殺した相手の怨霊から祟られるのを畏れたことに由来します。
実質的には殺された側の遺族に対しても幾ばかりかの慰めになったのです。

靖国神社はどうかというと自分たちの仲間しか祀っていません。戊辰戦争では新政府側のみ、西南の役にいたっては、西郷隆盛さえ祀られていません。

西郷隆盛は維新の大功労者であることは言うまでもありませんが、新制度になじめず、既得権益を失った旧武士の不平不満を一身に受け、新政府に対して反乱を起こし、死んでいったわけです。

自分の死をもって維新を成就させたといっても過言ではないでしょう。
先の大戦では敵方であった連合国側の死者は当然のごとく祀られていません。

私は今からでも遅くはないので、先の大戦での敵方であった連合国側の戦士者を慰霊鎮魂する施設を国の予算で作るべきだと思っています。

今回の東北大震災で慰霊碑をつくる計画がありますが、いっそのこと一緒にこの人たちも慰霊鎮魂していただきたい。

天皇皇后両陛下が被災地を訪ね、ひざまずきながら被災者を慰めてお歩きになるお姿は本当に胸をうたれます。

私は東北に遷都されてはと思っています。
天皇ご自身が先頭に立って被災地の霊を慰め、世界平和の象徴として先の大戦の戦死者の慰霊鎮魂をつかさどっていただきたいと思っています。

遷都するからには、国会議事堂はじめ行政機関、要するに霞が関がそっくり移転すべきです。
そもそも行政の中心地と経済の中心地が近すぎるとろくなことになりません。

東京一極集中をやめ地方分権を進めるのはもちろん、首都直下型地震がいつ来てもおかしくない今、防災機能を充実させるためにも、同時並行的に行えば経済波及効果は計り知れません。

なによりも東北が首都となり、世界に対して世界平和と核廃絶ををアピールすれば、経済一辺倒の国では無く、日本人への信頼と尊敬、そして日本人としての誇りを取り戻せるようになると思います。
それとも首都直下型大地震が来るのを待つべきなのでしょうか。

私はやはり、天皇は日本人にとって、心のよりどころの一つであり続けられるのであろうと思います。
日本国憲法の第一条は「天皇は日本国民統合の象徴」ではなく「天皇は世界平和と核廃絶を祈念する日本国民総意の象徴」とでも書き換えたらよいのではと思っています。















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