2012年10月3日水曜日

ものづくりの現場から⑦

一昔前、日本の3大ネーミングはなんだったと思いますか?
銀行も今では皆似たような横文字になってしまっていますが、
それは「朝日」「富士」「桜」です。

日本人の自然崇拝はここにもあらわれています。
朝日に手をあわせ、富士を崇め、桜を愛でる。
鰯の頭も信心からで、何も難しく考えることはなく、日本人のアイデンティティーはこれでよいのだと思います。

日本人は自然の恵みにより生計をたて、自然の脅威にさらされながら知恵をしぼり、ときとして天罰をうけてきたのです。
今回の大震災は天が与えた日本人への試練なのかもしれません。

フクシマは放射能汚染との戦いで、さながら戦場です。
風評被害により、人は寄り付かないし、現地で作ったものはそとに出せません。
フクシマという地域は大手自動車メーカー、電子機器メーカーの下請け集積地でもあり、高い技術力のあるところなのですが、仕事が激減してしまっています。

私も長年付き合いのある中堅モーターメーカーがフクシマにあるのですが、そこの営業の方から直接聞いた話では、名古屋の大手メーカーに納品にいくにあたっては、フクシマナンバーの車では嫌がられるので、県境でわざわざレンタカーに乗り換えていくのだそうです。

前に震災特区のお話をしましたが、現在フクシマでは地元の中小企業が結集して、新規事業の立ち上げに取り組んでいます。
自然エネルギー普及のための機器を自ら製造販売していこうというわけです。
私も、ものづくりの現場のハシクレとして、少々お手伝いさせていただくため準備中です。

私の母方の実家が岩手の遠野で、顔見知りの親戚が釜石、宮古にいたりして震災直後はたいへん気を揉んだものでした。

私はフクシマが震災地のみならず、日本そのものの復興再生の象徴になると思っています。
それはフクシマの前にヒロシマ、ナガサキがあり、オキナワがあるからです。

私の父親は医者だったのですが、医者の不養生というやつでしょうか50代で早死にしました。私が高校一年のときでした。

ヒロシマへ原爆が投下された直後、さる自治体の勤務医だったこともあり、いの一番で現地に派遣され被爆したのです。
私の妻の母親もヒロシマの市街で被爆しています。
いわば、私も妻も被爆2世であり、私たちの息子はりっぱな被爆3世ということになります。

うちの息子は中学2年生でゲームとマンガとバスケットが好きな普通の少年です。
先日、「はだしのゲン」を読んで感動したという話を聞いて、実は君も被爆しているんだよと教えてあげました。

放射能による被爆が遺伝的に子子孫孫に対してどのように影響をおよぼすのかは残念ながら今の医学では解明できていないようです。ただただその悪影響が薄まっていくことを願うばかりです。

私も妻も親たちから原爆が投下された直後の、それは想像を絶する悲惨さを聞かされています。

私は息子に「はだしのゲン」を読んで感動したことはとても大事なことであり、遺伝的な悪影響が薄まるかどうかは解らないけど、あの悲惨な記憶を孫子にも語り継ぎ、いつまでもその記憶を薄まらせてはいけないんだよと話してあげました。

私は今回のフクシマ復興再生プロジェクトに関わらせていただけることをたいへん誇りに思っています。
このプロジェクトは日本という国にとっても大変大きな意味を持つと思います。
それはもう二度と、中央は地方を決して見捨てないんだということを試されているからです。

大戦末期、中央はオキナワを見捨てました。
「ひめゆりの塔」がそれを今でも語っています。



















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