司馬遼太郎の「翔ぶが如く」の解説として、平川裕弘(比較文学研究者、東京大学名誉教授)は、「西郷隆盛が薩摩隼人の桐野利秋らにかつがれて、太政官と呼ばれた草創期の明治政府と対立し、ついに西南戦争を起して、敗れて行く過程を細密に叙した史伝であります。明治初年の日本で洋行派と非洋行派の間に生じた感情的齟齬、時代の主流にのったものと時代の流れに取り残されたもの、その両派が征韓論をめぐって対立し、ついに後者が武装蜂起して鎮圧される過程を描いた大河史伝です。
今日の日本人が百余年前の日本のこと、すなわちペリー艦隊の来航(1853年)から西南戦争(1877年)の終結にいたる幕末維新の動乱についてまざまざと思い浮かべることができるのは、歴史研究の教授たちの努力もさることながら、司馬遼太郎氏という文豪の作品を通して、という面も多いにちがいありません。」と述べています。
トルストイの「戦争と平和」の解題において、米川哲夫氏(「戦争と平和」訳者米川正夫氏三男、東京大学名誉教授)は、
「『戦争と平和』は単にいわゆる歴史小説であるのみならず、波瀾と変化に富んだ伝奇小説であり、甘美な恋愛小説であると同時に、人生最深最奥の問題に解答を与える思想小説でもあり、その構成の複雑多端なこと世界の文学中他に比類なく、大トルストイの芸術的創造の頂点をかたちづくるものである。
主人公のひとりアンドレイ公爵はどこまでも徹底した現実主義者であって、神秘的なもの、宗教的なものに対しては徹頭徹尾縁がない。彼が最後に福音書に説かれた深い宗教的な法悦にひたって死んでいくのは、戦闘における重傷によって衰弱しきった彼の肉体が、地上の生活者として能力と素質を消耗し、現世にたいする興味を喪失した自然の結果である。
アンドレイが現実派であるなら理想派で大富豪である伯爵ピエールの更生(周りから言われるままに浪費していたことを改めた。)は、愛他主義と利己主義、キリスト教とヘレニズム、平和と戦争、生と殺、こういった無限の対立の微妙な調和に悟入したことを意味するにほかならない。
人民崇拝の彼の傾向は、人民との接触は彼のために、民主的教育の生きた学校の役目を勤めたわけである。
芸術的思想のもっともあざやかな表明者としては、女主人公のナターシャ。である。
トルストイが「戦争と平和」において強調せんとした思想が人生肯定、生命讃美であるとすれば、溌剌たる生命そのものというべきナターシャにおいて他に人がないからである。
生の喜びの権化として近代文学に女王のごとく君臨している女主人公である。」
と述べています。
米川氏によると、トルストイは「戦争と平和」において、すべての歴史上の事件は少数の為政者や、外交官や、軍隊指揮者などに左右されるものではなく、その事件に関与した無限小の分子、すなわち、民衆の意志や出来心の総和によると、こういうのです。彼は数百万のキリスト教国の民が、たんに皇帝の意志や将軍の命令によって、互いに殺戮しあうというようなことがありうべきでないと論断して、目に見えぬ群衆の力を滔々数万言をついやして高唱力説しています。
戦争における指揮官、参謀の価値を全部否定するのは、極端に走った矯激な言葉であるけれど、部分的にはトルストイの主張するとおり、激戦中、上官の指揮が徹底的に伝えうるものではないとか、あるいは、いわゆる軍の士気が指揮官の無能にかかわらず、しばしば戦局に決定的な影響を与える、というような事実はとうてい否定することができないとしています。
トルストイは歴史家の言う英雄譚を否定し、英雄による権力の行使が歴史を動かしてきたのではないとしています。権力とは言葉ではなく、命令者と被命令者との間にある関係における現象にすぎないとしています。
これを説明するために、「自由と必然」という相反する概念を援用し、「内容と形式」、「意識と理性」のそれぞれの関係を考究し、自然の力が必然と相反する自由であり、生の本質は理性の法則に拘束されないとしています。
しかし、これらは矛盾を内包し、形而上学の領分に棚上げし、神の予定(プレデターミネーション)が、歴史を支配しているとの確信にいたります。
ロシアは、古くは、アッティラ汗、チンギスハン、そして「タタールのくびき」をエス(心理学における、フロイドの概念、内的自己に抑圧された強迫観念)とし、ロシア革命を経て、唯物史観による社会主義国家を樹立し、神を否定しましたが、共産主義は破綻し、宗教は復活しました。
日本は幕末の尊王攘夷の思想から、明治維新の脱亜入欧あるいは和魂洋才という無理をするために、天皇制という「つっかえ棒」を持ち出し、まるでキリストのように天皇を「現人神」として祀り上げてしまったわけです。
戦後「現人神」は否定され、これはロシアの社会主義国家を樹立し神を否定したことと比較考察することは、意義があると思われます。
尊王攘夷という日本人のエス(フロイドによる概念)は、内的自己に抑圧され、病因となって強迫観念の症状を繰り返し発症しています。それが、靖国問題であり、教科書問題、慰安婦問題等でありましょう。
私は、トルストイの「戦争と平和」と司馬遼太郎の「翔ぶが如く」における両者の思想と心理学者である岸田秀氏(フロイド派)の「一つの集団の歴史は、一人の個人の歴史として説明できるという立場に立って、幕末から現代に至る日本国民の歴史を一人の神経症ないし精神病の患者の生活史として考察する」(ものぐさ精神分析)を参考としながら、ロシアの近代における歴史と日本の同時期(「戦争と平和」の舞台となるナポレオンのロシア戦役が1812年、浦賀へのペリー来航が1853年、西郷隆盛による西南戦争が1877年、ロシア革命が1917年)の歴史を比較考察してみようと思います。
それは、ロシアがナポレオンとの戦争からロシア革命により社会主義国家樹立にいたる経緯において、13世紀から15世紀にかけてのモンゴル人による支配、いわゆる「タタールのくびき」が、ロシア人にとってのエス(フロイドによる概念の内的自己に抑圧された強迫観念)になっていて、日本の幕末におけるペリー・ショックによる日本人のエスに相当すると思われるからです。
これは岸田氏の解説によると、アメリカがその建国の歴史において原住民であるインディアンを虐殺しながら西へ西へと進み、ハワイ王朝を滅ぼし、太平洋戦争においては広島、長崎への原爆投下をし、ヴェトナム戦争、中東戦争へとその虐殺の歴史を止めることが出来ないのは、インディアンの虐殺を正当化するために内的自己にエスとして抑圧させることによって、強迫観念となって繰り返されるわけです。つまりアメリカも民族としての精神病に病んでいて、それを治癒するためには、アメリカ人として内的自己と外的自己の自己同一性(アイデンティティー)を回復せねばならないわけです。これは不可能に近いように思われます。
岸田氏は、
「アメリカは、裏切りと暴力を使って、自由と民主主義を押しつけたい強迫的衝動に駆り立てられるのである。
インディアンの領土内でインディアンを虐殺したピルグリム・ファーザーズが、聖徒ではなく悪逆非道な人殺しに過ぎなかった事実を認めざるを得なくなるからである。」
と述べています。
日本人の症状は、虐待による暴力的な男性ばかりを好きになってしまい、次から次へと凌辱されながらも同じような男との交際を繰り返す症例の原因が、その女性の幼年期の父親との関係で説明しています。その女性は自分の父親から虐待を受け続けていましたが、それが父親の自分への愛の表現と信じたかったのです。それゆえ自分に虐待を続ける男性が愛してくれているのだと思い続けて同じ過ちを繰り返すのです。これを治癒するためには、幼年期の父の虐待が愛の表現ではなかったことを悟ることが必要であったわけで、それによって治癒されたのです。
日本人もペリー・ショックによって、アメリカに強姦され(これは司馬氏がなにかで言われたようですが、)たのに、強姦した相手を「好きよ、好きよ」と言い続けているのと同じことというわけです。
この病因を除く作業はアメリカ人にインディアンの虐殺がエスとして抑圧されているのを自覚させ解放するのと同じくらい難しいのかもしれません。
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