2018年11月10日土曜日

日本人にとっての“identity”とは⑧自己同一性について

 岸田氏は、「精神分裂病質は外的自己と内的自己との分裂を特徴とする。内的自己のみが真の自己とされるが、他者との関係、外界への適応はもっぱら外的自己にまかされ、外的自己は、他者の意志に服従し、一応の適応の役目は果たすが、当人の内的な感情、欲求、判断と切り離され、ますます無意味な、生気のないものになってゆく。外的自己と内的自己とのこの分裂と断絶が分裂病ないし分裂病質を形づくり、自己同一性(セルフ・アイデンティティー)は失われる。」としています。

 経済成長政策は、日米戦争ほどあからさまな大失敗は招かなかったものの、日本国民の自己同一性を回復する方策としては、やはり失敗だったと言わざるを得ないと述べています。
 結局、日本人が日米戦争あるいは経済成長によって解決しようとした問題、すなわち外的自己と内的自己との分裂の問題は依然として解決されずに残っています。日本人の自己同一性は依然として不安定であるわけです。外的自己と切り離されて純化された内的自己の一つの重要な形態である尊王攘夷思想は、戦後の一つの底流として流れつづけており、ときどき表面まで吹き出してきて、山口二矢の浅沼委員長暗殺や三島由紀夫の割腹自殺のような事件を惹き起こします。彼らを時代錯誤的と決めつけても問題は解決しません。彼らは時代錯誤的なのではなく、戦後抑圧されている日本人の人格の半面を純粋な形で表現したものであるわけです。
 ペリー・ショックが日本人に与えた心の傷はまだ癒えていない。それを癒すためには外的自己と内的自己との統一が必要であるとします。この統一が成れば、そこに自己同一性の基盤を見出すことができるわけです。従来の統一が失敗したのは、外的自己と内的自己とのどちらか一方を隠蔽あるいは排除して他方のみを自己と認め、無理やりその半端な自己を自己の統一的全体と見なそうとしたからであり、あるいは、この両自己を切り離したまま使い分けようとしたからであり、あるいは、この両自己の対立をいい加減な妥協形式によって糊塗しようとしたからであるとしています。

 ペリー・ショックによって惹き起こされた外的自己と内的自己への日本国民の分裂は、まず、開国論と尊王攘夷論との対立となって現われました、開国は日本の軍事的無力の自覚、アメリカをはじめとする強大な諸外国への適応の必要性にもとづいていましたが、日本人の内的自己から見れば、それは真の自己、真実の伝統的日本を売り渡す裏切りであり、屈辱でありました。この裏切りによって、日本は自己同一性の喪失の危険にさらされることになったわけです。そこで、不安定な内的自己を支える砦としてもってこられたのが天皇であったわけです。ペリー・ショックにひきつづいて、屈辱的開国を不本意ながら強制されたために人格分裂を起こし、自己喪失の危険にさらされた日本国民はその恐怖から逃れるための「つっかえ棒」を必要としたのであり、天皇制はまさにそのための好都合な「つっかえ棒」に向いていました。つまり、支配者側から押し付けられなくても、天皇制を受け容れる心理的基盤(素地、下地)は国民の側にもあったと思われます。
 明治維新が成り、開国論(外的自己)と攘夷論(内的自己)との抗争は一応、前者の勝利に終わり、後者は神風連の乱から西南の役に至る一連の事件を通じて散発的にふき出したものの、深く潜行することとなりました。だがもちろん、消滅したわけではありません。抑圧されたものは必ずいつかは回帰する。開国は一時の便法であり、本音は攘夷であったわけです。

 外的自己と内的自己とが生き生きとした統一的関係にあってこそ、いいかえれば外的自己が内的自己のありのままの自発的表現であり、かつ内的自己が外的自己の行動を自分の主体的意思に発し、自分が決定でき、自分に責任がある行動であると実感していてこそ、人格の統一性、自己同一性は保たれるのであるわけです。

アメリカの独立宣言に表明されている自由、平等、民主の共同幻想の背後には、アメリカ大陸「発見」当時に北米に100万人はいたと推定される原住民が20万人を下回るに至った大量虐殺の経験がありました。アメリカの共同幻想はこの経験の抑圧と正当化に支えられているわけです。そのため、アメリカの共同幻想は硬直化し、この共同幻想にその私的共同幻想を共同化しようとする成員(アメリカ国民)に安定感と確実感を与えるものではなくなっています。どこかうしろめたく、うさんくさいのです。またそのため、抑圧し正当化したもとの経験に類似した経験に関して、アメリカ国民の精神構造に盲点が生じ、類似の経験が強迫的に反復されるようになります。したがって、アメリカは、その不確実感、不安定感を補うため、他民族にその共同幻想を押し付け、またときには他民族を大量虐殺するよう強迫的にかり立てられているわけです。広島、長崎への原爆投下、ベトナムにおける大量虐殺は、インディアンの大量虐殺の経験の強迫的反復であります。

日本に関して言えば、ペリーの黒船来航以来、戦後から現在に至るまで基本的には変わっていません。天皇崇拝、神国日本、大アジア主義など、内的自己を中心とする戦前の共同幻想は、敗戦によって廃棄され、この共同幻想が吸収し、共同化していた日本人の私的幻想は、公的承認を失って集団の「エス」として底流することになったわけです。戦後の民主主義の共同幻想は、日本人の私的幻想を共同化する点ではなはだ不充分であるとしています。日本は、戦前のイデオロギーを思想的に超克したうえで戦後のイデオロギーを主体的に築いたのではありません。いわば、戦前のイデオロギーを「抑圧」しただけであって、抑圧されたものは必ず回帰するのであります。開国後の「文明開化」の共同幻想が、結局は「鬼畜米英」の共同幻想に取って代わられたことを忘れてはならないとしています。



0 件のコメント:

コメントを投稿