私は、このブログの「日本人にとってのintegrityとは」編で詳述しましたので、ここでは繰り返しませんが、日本国憲法における「象徴天皇」の象徴という意味が曖昧で、つまり、内容のよくわからない形式に過ぎないもののように思われるのです。
象徴という言葉が憲法内で格別に規定されているわけでもありません。
「象徴天皇」という言葉も、自由、意識、生の本質、自然の力を伴うことによって、内容を持つということになると思います。
それは、日本における、思想の歴史上の伝統文化に根ざした慣習となっているものであるべきということです。
司馬氏は、
「日本は維新によって君主国として出発した。
しかしながら、天皇の独裁は歴史的慣習としてみとめない。中世にあっては関白や上皇、法皇が政治を代行し、次いで鎌倉幕府、室町幕府、豊臣政権、徳川幕府がそれを代行してきた。維新は徳川幕府をたおして天皇の親政にもどすというのが建前であった」と述べ、
建前とは、内容の無い形式だけと理解できます。
司馬遼太郎氏は「翔ぶが如く5」において
「明治憲法の中に天皇の統帥権という非立憲的な要素を噛みこませ、その統帥権の保持機
関としてこの参謀本部の性格を明確にしたことでもわかる。作戦に必要とあればときに内
閣も議会も無視してよいというこの魔術的大権は、山形有朋の生存中こそ無害であったが、
その死後、大正から昭和にかけて参謀本部が政治的謀略の府になるとともに、軍人が国家
を手玉にとるような仕掛けのたねになった。」と述べています。
「天皇の統帥権」という「ごまかし」の仕掛けによって、無理に無理を重ねていったわけです。
奈良朝のころは、神事をつかさどる官庁として神祇官と、現実の政治をつかさどる太政官とが同格で併立していました。
しかし、明治の制度は上代の律令時代とことなり、神祇官は太政官の下におかれ、明治四年、神祇官は廃止されてしまいました。つまり、「現事」が本になり、「神事」が末になってしまったと司馬氏はのべています。
兆民の「君民共治」は、現事は大統領がつかさどり、神事は天皇がつかさどる制度ということでしょうか。
イギリスの立憲君主制は、不合理な面は王室が吸収し、合理的なことは、下院でいこうという棚上げの原理によるものと山本氏は説明しています。
帝国憲法も立憲君主制でしたが、イギリスと決定的に違うところは、イギリス人は神に絶対性を託すことが大前提にあるため、王室と下院も相対的にとらえることができます。つまり、神が自己を支えているわけです。
日本人は、人と人の間のお互いの関係のみが、自己(自分と他人を通しての「自分」)を支えているので、簡単に自我(自分を考える「自分」)を捨ててまで、相手に対して譲歩してしまいます。
トルストイの言うように、自我とは、自由です。キリスト型国家における国民にとって自我を捨てるということは、自由を捨てるに等しく、それは神を否定することとなり、絶対に不可能なことです。
日本人は、そこで、自己を支える「つっかえ棒」として、天皇を持ち出しました。
天皇を「現人神」として神聖化し、絶対的な権威として、軍部が利用したのが、「天皇の統帥権」という魔術的大権でした。
江戸幕府も天皇を権威として利用したことに変わりありませんが、江戸時代は、孔孟の教えである倫理主義が、自己の支えの一つになっていたと思われます。
山本氏が言うように、「キリシタンは困るという理由は、直接神を拝するからいけない、と。儒教においても天を拝するということはあるけれども、天を拝していいのは皇帝だけだと、諸侯は皇帝を拝すること即ち天を拝する所以であり、家臣は諸侯を拝すること即ち天を拝する所以である、と。つまり、すぐ一つ上を拝する。妻は夫を拝すること即ち天を拝する所以なり。こうして順々に階層的になって日本の秩序はできている。」
一つ上を拝するということが、日本の秩序になっていたということは、歴史上、慣習に根ざしていたことであり、孔孟の教えである儒教が、無理なく庶民に受け入れられていたことと言えます。
それに対し、明治政府は、開明派(脱亜入欧)の福沢派の人が多く、功利主義・実学主義が支配的で、兆民が持ちだした孔孟の教えの倫理主義は、容れられなかったのです。
天を拝すとは、形而上学の領域に棚上げする原理が働くと考えてよいと思います。
不合理な面を吸収する機構としては、日本では神社、仏閣が担っていたわけです。
トルストイは、必然の法則を認めたならば、霊魂や善悪に関する観念、ないしこの観念の上に確立された国家および教会の施設が、すべて崩壊するように思われた。
以前ヴォルテールがなしたのと同様、今でも認められざる必然律の擁護者は、この必然律を宗教と戦う武器として使用した。ところが、それと同じようなぐあいで、歴史における必然の法則は、天文学におけるコペルニクスの法則と同様に、国家と教会の施設の基礎を破壊しないばかりでなく、かえって反対に確立さしているのであるとしています。
これは、唯物史観の根拠である物理学を、ヴォルテールが、カトリックの教会批判に利用したことを批判しているものと理解できますが、霊魂や善悪に関する観念、つまり物理学で解明できない不合理な面は、ヴォルテールの教会に対する闘争にもかかわらず、国家と教会の施設が吸収する機構として機能していたことを意味していると理解できます。
日本において、不合理な面を吸収していた機構は神社仏閣でした。明治政府は、廃仏毀釈による国家神道という、日本の伝統文化にそぐわないものにしてしまいました。
古来、神社と仏閣は併存していたのが自然であり、歴史上、伝統文化に根ざして慣習化されたものでした。それを歪めてしまったものが国家神道というものです。
天皇を神聖化し、絶対の権威として利用した魔術的大権である「天皇の統帥権」の仕掛けのたねの一つになったものです。ここに大きな無理があったことは、言うまでもありません。
岸田氏は、幕末以来、今日に至るまで、日本の政府においては、太平洋戦争中の四年間を除き、ずっと外的自己の代表者が主流を占めてきた。しかし、屈従を主調とする外的自己が日本という集団のアイデンティティーの基盤となり得るわけはないから、そこには大きな無理があり、そのバランスはつねに危なっかしく、しばしば崩れ、抑えられていた内的自己が爆発すると述べています。
西南戦争は、内的自己の爆発の一つです。西郷隆盛は、自分が作った東京政府に対する、武士の不満を、自分が犠牲になることによってしか解消できないことを悟り、実行しました。
西郷は靖国神社には、祀られていません。最期は逆賊になってしまったからです。
靖国神社は、当初、軍部が作ったもので、国の施設(東京招魂社、明治12年靖国神社と改称)でした。
不合理な面を吸収する機能を持った機構としては、伝統文化に根ざした慣習には適っていないと思います。
以下、考察を続けてゆきます。
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