2015年5月19日火曜日

サンマリノ共和国との友好親善について②

サンマリノ神社仏閣の意義についての考察

サンマリノ神社の祭神は出羽三山で、月山、羽黒山、湯殿山の総称です。

月山の祭神は、月読命で本地仏は阿弥陀如来です。
羽黒山の祭神は、稲倉魂命で、これはいわゆるお稲荷さんのことで本地仏は観音菩薩です。
湯殿山の祭神は、大山祇命、大己貴命、少彦名命の三神ですが、代表して天照大神として本地仏は大日如来です。

これらは、曼荼羅の大日如来、阿弥陀如来、観音菩薩に通じます。

天照大神は、日本書記、古事記のなかで最高神の地位を占め、太陽の神であり、本地仏の大日如来も曼荼羅の中央に位置し、文字通り太陽神です。

月の神とされる月読命は太陽を象徴する天照大神と対になっていて、ギリシャ神話の太陽神アポロンと月の神アルミテスと比較されます。

月読命の本地仏である阿弥陀如来は弥勒菩薩と同じと考えてよいと思います。
菩薩は修行の身で、悟りをひらいて如来となります。
弥勒菩薩のミロクの語源は、インド仏教ではマイトレーヤ(メッテイヤ)であり、救世主メシアと同じです。
インド神話ではミトラであり、イラン神話、ゾロアスター教においては、ミスラです。

稲荷神は穀物、食物の神であり、稲荷と狐は同一視され女性的です。
真言密教においては、だき尼天であり、インドの女神ダーキーニーです。
観音菩薩は中性説もありますが、見るからに女性的です。

したがって、出羽三山の祭神の本地仏が、曼荼羅の仏に相通ずることは明らかなようです。


さて、話は飛躍しますが、ご批判、ご非難を被ることは承知の上で、曼荼羅とキリスト教、ユダヤ教、イスラム教との関連性について考察を進めたいと思います。

私はものづくりの一技術者で、宗教家でも学者でもありませんが、宗教家が宗派間の対立を生んでいる現況は、世俗化していることの裏返しであり、学者が細分化していく学説に拘泥するあまり、視野が狭くなっているのは、科学的、論理的、抽象的思考から逸脱していると言っても過言ではないと思っています。

戦国時代、ザビエルがキリスト教を日本で布教を始めた当初、デウスを大日と呼びました。
デウスはラテン語で神のことであり、英語ではゴッド、ヘブライ語ではヤハウェです。

語源は、インド・ヨーロッパ祖語のディヤウスdyeus「天空」に由来し、多神教の最高神であり、ギリシャ語のゼウス、インドのサンスクリットのデーヴァ、ゲルマンの古ノルド語のテュールも同源と言われています。

キリスト教では、父なる神がデウス、神の子がキリストです。
キリストはユダヤ人であり、デウス=ヤハウェは、ユダヤ教の神です。

したがって、大日如来はデウス=ヤハウェつまりユダヤの神となります。

阿弥陀如来=弥勒菩薩のミロクがマイトレーヤ(メッテイヤ)=メシア=キリストとなります。

イスラム教においては、ナザレのイエスがメシアであると考えています。
クルアーン(コーラン)のなかで、キリスト(ナザレのイエス)は、ノア、アブラハム、モーセ、ムハンマドと並んで預言者という位置づけで、アラー(ヤハウェ)が唯一絶対の神とされています。

キリスト教の三位一体は父なる神ヤハウェと神の子キリストそして精霊です。
精霊の解釈が神学論争となっていますが、私は精霊=聖母マリア(イスラム教の創始者ムハンマド=マホメットの解釈)を支持します。

父なる神ヤハウェ=大日如来、神の子キリスト=阿弥陀如来、聖母マリア=観音菩薩

したがって、キリスト教の三位一体=曼荼羅
これが私の結論です。

三位一体の神学論争は、一神教でなくてはならない学説と多神教あるいは、汎神論を受け入れることにも寛容な学説とのせめぎあいともとれます。

イスラム教のタウヒードは一神教の概念と一般的には思われていますが、多神教、汎神論の概念を包摂しています。

タウヒードの「多即一」は、日本の大乗仏教である華厳経の概念「一即多」と同じです。
「いっしょくた」というのはここからきています。

なんでもかんでもいっしょくたにして一つにしてしまう、これがタウヒードです。

真言密教の開祖、空海は、若いころは華厳経の東大寺で修行しました。
遣唐使として唐に渡り、密教の奥義を持ち帰ったわけですが、それだけではなく、最澄と共に旧約聖書、新約聖書も持ち帰ってきています。

空海は唐において、インドの仏教、チベットの曼荼羅、ゾロアスター教、キリスト教(景教ネストリウス派)とそれこそ、いっしょくたにして持ち帰ってきたわけです。

日本の仏教がインドの仏教とはまったく異質になった所以です。
インドの仏教は釈迦の思索により、「悟りをひらく」という純粋な哲学であり、釈迦本人は自分を神としたわけではなく、後々弟子たちによって神格化されたにすぎません。
釈迦の教えのなかには、キリスト教のような「救済」という概念はないのです。

空海がキリスト教の「救済」という概念を取り入れたのだと思います。
キリスト教では、天国と地獄、イスラム教でも楽園(天国)と地獄、日本の仏教も同じです。

最澄は法華経の奥義を持ち帰り、天台宗を開き、その弟子法然が浄土宗、日蓮が日蓮宗と宗派が別れていきます。

法然の弟子である浄土真宗の親鸞に至っては「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで「救われる」と説きました。

これは、まぎれもなく「アーメン」と唱えれば「救われる」キリスト教と同じです。

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は旧約聖書を原典としています。
それぞれ一神教として排他的になり、宗教紛争の原因となっています。

しかし、キリスト教の三位一体、イスラム教のタウヒードいずれも多神論、汎神論的色彩を多分に帯びているのです。

ユダヤ教のヤハウェはデウスであり、古代ギリシャの最高神ゼウスと語源が同じであることは述べました。
ゼウスは古代ローマでは、最高神ユピテルとなります。

両方とも多神教であり、旧約聖書の完全無欠な絶対神と比べると、とても人間的であり、日本の八百万の神と同じです。

日本人ほど多種多様な人種民族の血が混ざった人々はいません。
日本人の遺伝子の中で、古代パレスチナ人と同じDNAがあることが科学的に証明されています。
いわゆるユダヤ人のなかでもセファラディー(白人系はアシュケナージです。)という人々です。
瞳も髪の毛も黒く、褐色の肌で、キリストもそうだったと言われています。

数千年の長い年月を経て、海と陸のシルクロードを伝って日本列島に渡来した縄文人、弥生人の人々です。

サンマリノ共和国の名前の由来である聖マリノが石工であったことを思うと、聖マリノもキリストと同じセファラディーだったのではないかと思いをめぐらさざるをえないのです。

サンマリノ共和国が掲げるリベルタ(英語ではリベラル)は束縛、従属からの解放という意味の人類が獲得した普遍的思想であることは言うまでもありません。

これはまた、宗教の違いを超えること、すなわち各々囚われることなく、互いに他者との違いを認め合う寛容の精神といえるのではないでしょうか。



今年のルパン三世はサンマリノ共和国が舞台

2015年5月16日土曜日

サンマリノ共和国との友好親善について①

サンマリノ共和国において、日本の神社仏閣が建立される意義について

サンマリノ共和国は1700年以上の歴史において、チンギスハーン、ナポレオンの侵略にも耐え、専守防衛に徹し、平和を堅持してこられました。

日本は、戦後70年、平和憲法のもと平和を維持してきましたが、対米従属の改憲論者たちにより、戦争のできる国へと変貌しようとしています。

第一次大戦後、人工的にひかれた国境により、イスラム教のアラブ諸国と緊張関係にある英仏とは違い、イタリア半島の国々は、原発も武器も作らず、本当に正しく賢い選択をされてこられたと思います。

今、サンマリノ、日本両国が友好を深めることは、世界平和の大切さを訴えるうえで、たいへん意義深いことであると思います。

サンマリノ共和国は、昨年6月、神社を建立されました。
サンマリノ神社は、日本の神社本庁公認であり、日本との友好のシンボルとして、また東日本大震災の犠牲者の慰霊を目的とされています。

祭神は意外にも出羽三山です。
出羽三山とは、月山、羽黒山、湯殿山の三つの山の総称です。
月山神社の祭神は月読命(つくよみのみこと)、出羽神社の祭神は稲倉魂命(うかのみたまのみこと)、湯殿山神社の祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)がそれぞれ鎮座しています。

しかし、出羽三山は明治維新以降、明治政府の国家神道路線の廃仏毀釈により、なかば強引に神社として整備されました。
それまでは非常に仏教色の濃い神仏習合の聖地だったのです。

廃仏稀釈以前の本地仏はそれぞれ、月山が阿弥陀如来、羽黒山が観音菩薩、湯殿山が大日如来です。
これは曼荼羅の思想に相通ずるもので、日本古来の山岳信仰に密教や神仏習合が混淆して形成されたものです。

サンマリノ神社に宮司として奉仕されているのは、出羽三山で修行されたフランチェスコ・ブリガンデ氏とのことです。
日本の神社に対する海外の人々のイメージは、靖国神社を連想しがちな昨今となってしまいました。
靖国神社は明治維新以降創建され、祭神は日本の軍人、軍属等を祀っているのです。
創建当初から先の大戦の終戦までは、日本の軍部が祭事を統括していました。

いわゆる靖国問題は歴史修正主義との関連で、中国、韓国はもちろんのこと欧米諸国から非難の的となってしまっています。

本来の日本の神社は、伊勢神宮、出雲大社、宇佐神宮、諏訪大社等みな神仏習合の一大聖地だったのです。

サンマリノ神社は日本本来の宗教、伝統、文化を継承してくださっているのですから、戦争礼賛と受け取られかねない靖国のイメージを払拭しなくてはなりません。

日本では奈良時代以降、神仏関係が次第に緊密化し、神宮寺が広まりました。
奈良の大仏で有名な東大寺をはじめとして、伊勢神宮、宇佐神宮等、神社の傍らに寺が建てられ神宮寺となり、神前で読経がなされるようになったのです。

サンマリノ共和国はカトリックの人々が多いとのことですが、古代ギリシャ、ローマの神話時代の面影も残されています。

古代ギリシャ、ローマの神々は日本の八百万の神と相通ずるところが多分にあります。

サンマリノ神社も傍らにお寺を建立し、神仏ワンセットで日本本来の姿を踏襲していただければ、宗教、民族の違いや国境を超え、真の世界平和の象徴となり、世界中から畏敬の念で迎えられることと思います。