2018年4月26日木曜日

日本人にとっての“integrity”とは⑰東周りの聖書の伝播について

「聖書と日本フォーラム」の牧師である畠田秀生会長と久保有政氏は、イスラエルと日本の関係を研究されています。

久保氏は、「アメノミナカヌシ」=「トヨウケ」=「ウカノミタマ」=「クニノトコタチ」として、みな同一の神で単に呼び名が違うだけであると指摘しています。

「アメノミナカヌシ」は、天の中心に座す主神で、「トヨウケ」は、大元の神であり、「ウカノミタマ」は、穀物の神であり、「クニノトコタチ」は、日本神話の根源神とされています。

つまり、唯一絶対の「God」をユダヤ教では、ヤハウェ、イスラム教では、アッラー、キリスト教では、主なる神あるいは父なる神と呼ぶことと同じであるとしています。

小室直樹氏は、カトリックでの七つにも及ぶ秘蹟による救済が、イエスの教えから遠ざかっていったことを指摘しています。

久保氏も同様の指摘を、カトリックはユダヤ人を排斥していったことと植民地主義に利用されたことを例として指摘しています。
そして、西洋経由の西周りの布教に対して、東周りの東方教会の布教のほうがよりイエスの教えに忠実であったと指摘しています。

十二使徒のひとりであるトマスは、1世紀にインド南西部を拠点に中国まで布教していたとされます。
5世紀には、景教(キリスト教ネストリウス派、ネストリウスはコンスタンチノーブル大司教)は中国において流行し、明末には、大秦景教流行中国碑が長安にて発掘され、考古学的にも証明されています。

空海が長安に留学中、景教に接していたであろうことは、想像に難くありません。
現に、真言密教の高野山には景教碑のレプリカが建てられています。

「南無阿弥陀仏」の称名念仏は、インドにおいて1世紀すでにトマスによって影響を受けていたと久保氏は指摘しています。

そして600年代、中国の善導が浄土思想を確立し、法然、親鸞に大きな影響を与えました。

小室氏は、親鸞の肉食妻帯は、夢に出てきた聖徳太子に許可されたからとの指摘があります。
久保氏は、聖徳太子は政治家であり、特別に仏教に肩入れしていたわけではなく、宗教、宗派にこだわらず、「和をもって貴しとすべし」を実践したのであって、仏教徒ではなかったはずであると指摘しています。

むしろ、シルクロードによってペルシャ人との交流を積極的に進めていたことが考古学的にわかってきたこともあり、当時のペルシャ人はキリスト教徒であったので、聖徳太子はキリスト教の影響を受けていたと指摘しています。

西周りの布教が政治的に植民地主義と結託していたのに対して、景教による東周りの布教は慈善、福祉、医療活動のもと行われたと久保氏は指摘しています。

東大寺を建立した聖武天皇の夫人、光明皇后は、貧しい人に施しをするための施設「悲田院」、医療施設である「施薬院」を設置して慈善を行いましたが、これは、景教の影響であると指摘しています。

天皇家において、「聖」という文字を持つのは、聖徳太子と聖武天皇の二人だけです。
厩戸の皇子と命名された、聖徳太子はキリストの伝説を受け継いでいて、馬小屋で生まれた偉人は、世界でこのふたりだけであるとも指摘しています。

聖書のなかでは「日出ずる国」という言葉がいたるところで出てきます。イザヤ書、マタイの福音書、ローマ人への手紙等、その表現は、「日の登る島々」、「地の果ての国」などさまざまです。
日本人で最初に「日出ずる国」という言葉を使ったのは聖徳太子といわれています。

イスラエルと日本に関係については、東大寺の修二会の「お水取り」が悔過・懺悔することにより救済される点はキリスト教の「悔い改め」と同じ点、諏訪大社の御頭祭がイサク伝承と酷似している点、元伊勢「籠神社」と「天橋立」、徳島県剣山の「クリスト神社」、聖櫃と神輿等、あげていけばきりがありませんが、イスラエルの政府要人、ラビたちも、失われた10部族のリーダー格であったエフライム族は天皇家であると公言してはばかりません。(詳細は「聖書と日本フォーラム」、http://biblejapan.info/

小室氏は、ユダヤ人には、カナン「乳と蜜の流れる国」、日本人には「瑞穂の国」という理想の土地を、神はお与えになったと指摘し、その神は日本人にとってもユダヤ人にとっても同一のであるという指摘になっています。

山本七平氏は、供え物の動物である「羊」は、ユダヤ人にとっての贖罪の「シンボル」であり、日本人にとっては、ひな祭りにおける供え物の雛あられや菱餅、つまり穀物である「コメ」が、穢れを清めるためのお祓いの風習における「象徴」であるとして、その風習の類似性を指摘しています。

法華経の「不惜身命」(人に尽くすためには、自らの体や命を惜しまない)は、キリストの自己犠牲に通ずるものがあり、これもキリスト教の影響と指摘されています。
法華経の自己犠牲とは、捨て身の覚悟であり、守成の勇とも通じます。

シルクロードには大きく分けて北方ルートと南方ルートの二つがあります。

記紀に出てくる弓月の国は、現在の中央アジアのキルギス、カザフスタンにありました。ここを経由して、西へはローマ(大秦国)へ、東へは中国の長安に至るのがシルクロード北方ルートです。
南方ルートは、インド、チベット、ミャンマーを経由します。
この周辺のチャン族、カレン族、シンルン族の伝説、風習はユダヤ人のものと酷似していて、遺伝子工学的には、父系、DE系統は、チベット、ミャンマー、沖縄、アイヌに共通しています。

空海が長安で、チベット曼荼羅の影響をうけたのは、当然と思われます。
秦氏は、弓月の国から朝鮮半島を経由して渡来しました。
秦河勝は聖徳太子のブレーンであり、伊勢神宮、平安京の遷都にも貢献した人物です。

空海は秦氏の協力のもと長安へ留学したものと思われます。

久保氏は、秦氏は明らかに景教徒であったと指摘しています。

秦氏ゆかりの広隆寺弥勒菩薩のミロクはインドのサンスクリット語でマイトレーヤを由来とし、ミトラ教あるいはユダヤ教のメシアに由来するとされていますが、いずれもキリスト教の影響をうけたものと思われます。

また、宇佐神宮を総本宮とする八幡神社(全国44,000社)と伏見稲荷大社を総本山とする稲荷神社(全国30,000社)は秦氏による創建と言われています。
全国には神社が10万社あると言われていますので、その大半が秦氏ゆかりのものと言えます。

遺伝子工学的にも、イスラエルと日本の関係は解明されつつあると研究されていますが、久保氏は、血よりも宗教的ルーツを重要視しています。

小室氏も山本氏も日本人は血縁主義ではないとしています。
抽象的思想としての宗教的ルーツである唯一絶対の神が、知らず識らずのうちに日本人に浸透していったと考えられます。

伊勢神宮の主祭神は、内宮が、「アマテラス」、外宮が、「トヨウケ」ですが、これらは、景教徒の秦氏により新約聖書の教義が反映され、記紀以前の物部、海部、出雲系は、旧約聖書の教義が反映されていると久保氏は指摘しています。

小室氏も山本氏も、ユダヤとイスラエルを微妙に使い分けていますが、畠田牧師の興味深い指摘があります。

イスラエル共和国は、1948年独立を宣言しますが、当時、ベングリオンはユダヤ共和国とするはずだったのが、政治的にイスラエル共和国としたとしています。
イスラエルは、北イスラエル王国の10部族をさし、ユダヤは南ユダ王国の2部族をさすのであって、建国時は、南ユダ王国の部族が主だったものでありましたが、将来、失われた10部族である北イスラエルの民も帰還してくることを前提として、イスラエル共和国としたとされます。

畠田氏と久保氏は、失われた10部族は東を目指し、その一部が日本にも来ていたと指摘しているわけです。
今後の研究の成果を期待したいと思います。


「聖書」の唯一絶対の神が、日本の記紀における「アメノミナカヌシ」と同一と仮定するならば、日本人にとっての“integrity”は明確になると思われます。

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