2018年4月10日火曜日

日本人にとっての“integrity”とは①


Integrity”の日本語訳として、ふさわしい言葉がないという問題が、ネット上のガメ・オベール氏の提起として議論を呼んでいます。
私も、これはとても大事なことなのではないかと思い、よく考えてみたいと思いました。

Integrity”という言葉は、啓典宗教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信仰するする人びとにとっては、「神との契約あるいは、神の命令を守らなくてはならない」という意味なのだと思います。

これはまさしく規範であり、天からの垂直的規範であると言えます。

それに対して日本人における規範は「他人のふり見て我がふり直せ」で水平的規範と考えられるわけです。
しかし、本当に日本人の規範はそれだけなのだろうかという疑問が、本書を書こうと思った動機です。

私が子供のころは、「悪いことをすると、お天道様の罰があたるよ」とか「嘘つくと閻魔様に舌を抜かれるよ」とか言われてしかられたものです。
これも、垂直的規範と呼べるのかもしれません。

しかし、“integrity”の神は唯一絶対的で、人間は被造物であり、神が作ったと考えます。
日本の神はお天道様であったり、閻魔様であったり、八百万の神で人間が作った神です。

Integration”は“integrity”から派生した言葉と思われますが、日本語訳としては「統合」で、日本人に広く浸透し一般化しています。

日本国憲法第一条では、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とあります。

この中の「統合」は“integration”であり、「象徴は」“symbol”です。
日本国憲法においては、「象徴」とは何かということについて、格別な規定がありません。

この国のかたちともいえる、憲法においても、天皇は“integrity”と“symbol”という日本人にとって曖昧ともいえる言葉によって表現されています。

天皇は、明治から昭和の終戦まで「アラヒトガミ」と思われていた時代においてさえ、お天道様や、閻魔様のように、人びとに罰を与えてくださる神であったわけではなく、キリスト教における、人であり、神である「アラヒトガミ」イエス・キリストのように、人びとを救済してくださる神であったわけでもありません。

日本人の規範は一体どこからきているのでしょうか。
私は、憲法第一条の「統合」と「象徴」という言葉が、この謎を解くキーワードになるのではと考えました。

日本人にとっての“integrity”はあるのだろうか、ないのだろうか、あったけれども忘れられてしまったのだろうか。

来年は、平成から新しい元号に変わります。これらのことを考察していくにあたっては、昭和から平成に移行する時代の論客であった、山本七平氏と小室直樹氏の対照的ともいえる、お二人の著作を比較引用しながら進めていきたいと思います。

山本七平氏は、「論語の読み方」のなかで、
「己の欲せざる所は、人に施すことなかれ」
「忠恕」とは何なのか。
「忠」は誠実、真心のことです。
「恕」については、
「子貢問いて曰く、一言にして以て終身これを行うべき者ありやと。子曰く、それ恕か。己の欲せざる所は、人に施すことなかれ」(衛霊公第十五)と。
孔子の原則は、これだけだといえる。
孔子が『仁』を問われ、その中でも、一条件としてこの言葉を述べているので、『仁』と『恕』はどういう関係にあるかということになり、『恕』は『仁』に至る方法と見てよいであろう」

では、孔子のいう「仁」の定義とは、「五つのことを広く行うことを仁とする」と答えています。
この五つの部分とは、「五つとは、恭・寛・信・敏・恵のことだ。自分が恭倹に謹めば他から侮られない。他人を寛大に取り扱えば多勢がついてくる。信用を重んずれば人が仕事を任せてくれる。敏捷に働けば能率があがる。恩恵をたれる人であって始めて、他人に命令して動かすことができる」と訳されています。

「仁」についてまた、孔子は「人を愛す」、「仁者は難きを先にして、獲るを後にす。仁と謂うべし」と述べています。

「愛」は、仏教では煩悩の一つとされ、キリスト教では、キリストは「愛」そのものとされます。

聖書では、マタイの福音書712節で、「だから、何事によらず自分にしてもらいたいと思うことを、あなた達もそのように人にしなさい。これが律法と預言者と(聖書)の精神である」(塚本虎二訳)

この聖書の、「自分にして欲しいことを他の人にもしなさい」と、論語の「自分のして欲しくないことは、他の人にしてはいけない」は、表現は逆ですが、お互い裏を返せば「逆も真なり」で、同じようなことを言っているように考えられます。

一方は聖書の精神であり、また一方は孔子の原則です。

この「聖書の精神」と「論語の原則」が、日本人にとっての“integrity”の謎を解く鍵のように思われます。



0 件のコメント:

コメントを投稿